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大山城跡
登城日:(2004.04.29)
所在地: 篠山市大山下
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
案内板脇にある堀跡  大山川が刻んだ切り立った崖に守られた大山城は、七区におよぶ曲輪に土塁と空堀を配し、それに櫓台・虎口・武者隠しなどの施設を設けた、大規模な城でした。この城は、平坦な台地を数条の堀によって区切り、直線的に曲輪を並べる変わった構造をもっており、非常に均整のとれた形態を見せています。
 大山城の代々の城主は鎌倉時代に地頭として武蔵国から入ってきた中沢氏でした。中沢氏は池尻谷に本拠地を構えたようですが中世後期、大山城に本拠地を移したと推定されます。こののち一族は国人として動乱の戦国期を生き抜きますが、天正年間の明智光秀による丹波攻めによって、ついに滅びてしまいます。
城跡の南側から  落城および百年後に記された「大山村古跡覚書」には、大山城城主であった中沢孫十郎重基が光秀に従わず大山城に籠城したが戦に利なく天正六年八月十五日に自刃し家臣の向井左近が首を落としたと伝えています。

『大山城跡案内板』より

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資料
 

私見
下草が生え揃えつつある郭跡  大山城跡へは、国道176号線「大山下」を西へ折れ大山川を渡った登り坂の途中を右折します。車一台が通れるほどの田圃脇の道路をしばらく進みますと右手に銀色に光る案内板が見えてきます。私はこの案内板のおかげでたどり着いたのですが、まわりを見渡せば立派な堀跡が口を大きく開けているので、それで気づかないといけませんでした(汗)。
 大山城は山城が多い篠山市においては珍しい平城です。幅約3〜4メートルもの立派な堀が綺麗に残されているのには驚きです。もう堀底に降りたくて仕方がなくなってしまいますが、人の目がありましたので遠慮しておきました(残念)。また、土塁跡も残っていて、大感激です。その場におられたご年配の方には「昔は土塀が続いていた」とおっしゃってましたが、ほんとかなぁ・・。(失礼か)
 大山川と堀に守られているとはいえ、平城で明智光秀に対して籠城したのはちょっといただけませんねぇ。
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