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大山城跡


登城日:(2006.02.18)
所在地: 神崎郡神河町杉
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
斜面を登りきった先から山城の遺構が始まります。 急斜面の登りです。  大山城(大尾山城)は、貞治元年(1360)、赤松掃部助直頼によって築城されたと伝えられている。嘉吉の乱の頃は播磨方の砦として但馬勢との激闘が繰り広げられた。
 その後の詳細は不明だが、後の天正期(1573〜92)に赤松氏に属していた大尾兵庫頭興次が城主であった頃、羽柴秀吉の軍勢の前に落城したとされている。

『日本の中世城館調査報告集成15』東洋書林刊参照

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資料
 

私見
かなり埋まっているようですが堀遺構がよく残っています。  大山城を目指すにはまず国道312号線西側に設置された案内板を見つけるところからはじまります。大山小学校の前ですのですぐに見つかると思います。城山はそこから東方面に見上げたところ標高487メートルの山頂に築城されていました。
 城へのアプローチは2〜30メートルほど北にある細い農道へ右折しそのまま道なりに進んでいくと右手の山間に獣避けのフェンスが張り巡らされているのがわかると思います。その通路から山に踏み込むわけです。
 作業用車両のためだと思いますが林道も作られています。ある程度は林道を行くことで比高を縮めることはできますがどこかの時点で直登をしないとたどりつけません(^^;。しかもかなり急斜面ですので木にしがみつきながら慎重に登っていくことになります。ただもう夢中で上へ上へと目指すのみです。実際、比高はどれくらいなんでしょうか、すっかりばてばてとなった頃削平地に着きました。
頂上の広い郭部です。 さらに深い堀切です。  城の縄張りは北を上に見てL字型になっています。ちょうどその最北端に手が届いたという状態です。土塁と弧を描く堀切を越えると井戸跡のような箇所に出ます。そこから先は数段の段差をもつ小さな郭が形成されています。まさにこの季節だからなのか、山頂部は状態を見るには絶好の状態ですね。
 また堀切と竪堀が続いてるようなものを越え、郭へ、さらにまた堀切を越えて郭へという風にかなりの高低差のある地形を移動させられますので体力を消耗しきった私にはきつかったです(^^;。確かにこの城ならば難攻不落ぶりを発揮して但馬方面からの敵を簡単には寄せ付けなかっただろうなと感じました。あまり注目はしていませんでしたが、いやぁまだまだ播磨にはいい山城が残っているものですね。
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