HOMEへ Check   Twitterでつぶやく  

横倉城跡
登城日:(2001.12.31)
所在地: 加古川市平岡町新在家、横倉寺
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
横倉城跡  横倉城は誰が築造したのか、その年代も不明だが、別所頼清の後裔野口新十郎厚躬が居城としたことは確かだったようだ。別所季則の次男である別所刑部頼清はいわゆる別所氏の祖と呼ばれており、加茂、神崎、多賀郡二万貫余を領有して播州加西郡別所村に移住し、別所氏を名乗るようになった。のちに三木郡を領するようになる。
 別所氏の系図のなかでも蓬莱家と呼ばれている。
【戻る】

資料
 

私見
横倉城跡土塁跡?  JR東加古川駅を降りて、すぐ西側を跨った陸橋を右折して六反田の信号のある交差点、上に加古川バイパスが通っているところをくぐって東加古川病院奥にある横倉寺の境内が横倉城跡です。寺の前に加古川市の史跡碑(城址碑)がたてられているのがすぐに分りました。他の城跡や構居跡にはない、その碑はなんと石でつくられています。なんとも扱いがワンランク(?)アップしているそれを見て、どんな素晴らしい遺構が残っているのだろうかと期待に胸踊らされました。がそれはすぐに打ち破られてしまいます。境内には何もないんですよ。案内板さえも・・・。
 なぜなんだ、加古川市。こんなに立派な城址碑があるというのに他の構居跡にはほとんどあった案内板がないではないか!
 ってことで、城址碑を中心にネタにするしかないのですが、よくよく見ると城址碑がたつところが高さ1m弱の高さの土手がずーっと続いているのです。おや、これって土塁?、いやそうに違いない!ってことで無理やり早々に退散しました(笑)。
【戻る】