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蓮光坊構居跡 登城日:(2002.02.11) 所在地: 加古川市志方町横大路、獅子吼山妙正寺 |
歴史 |
詳細は不明である。どうやら天正の羽柴秀吉による播磨攻めの際に付城として利用されたようだ。
◆石棺 当寺院には、家型石棺の蓋が一点、身が三点保管されており、いずれも加古川市内の石棺と同様、竜山石と加工して作られたものである。 三点の石棺の身のうち二点は刳抜式で残る一点は組み合せ式石棺の底石である。 いずれも六世紀末から七世紀初めのものと思われ出土地は、不明であるが志方町内の古墳から当寺院に運ばれてきたものと考えられている。 『獅子吼山妙正寺内案内板』より
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資料 |
私見 |
ここはおそらく、秀吉が付城として使った場所だろう、というところです。付近には同じ志方町内に点在する別所方の城や構居が存在しており、ここに城(といってもたいしたものじゃないかもしれませんが)を構えたころには大半を攻め落としてたんじゃないかなという気もしてます。 しかしこのお寺、実にいい雰囲気でしょ?正面から見ると櫓かと思わせてくれるような建物があります。「おお復興天守?か」(笑)とまでは思わないんですけどね。 よぉく考え見ると加古川市内の城跡の多さにも驚いてますが、とりわけここ志方町っていろいろあるんですね。たぶんほとんどの方は知らないのかもしれないけど。
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