HOMEへ Check   Twitterでつぶやく  

三枝城跡
登城日:(2001.10.08)
所在地: 飾磨郡夢前町前之庄三枝草、宝積院
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
三枝城跡である宝積院  現在宝積院がたつ場所は三枝城跡とされている。三枝城は平安時代末期の長寛二年に三枝正頼によって築城された。その後三枝氏が十代に続き、永和三年の雷による火災まで居城としていた。また、八代景恒の時に赤松則村に仕えるようになった。とされているが、どこまで正確なもののかどうかは謎とされている。
 宝積院は周りより一段高いところにあり、周りを石垣で囲まれている。東西三七・六m、南北四八・七mの長方形を呈している。また寺の裏手には山が接しているが、その山裾には石垣上に囲まれた土塀で囲まれた区画もあり、その北には堀割があり、さらに一段の朔平地と続いている。なかなか見事な遺構が残っている。

新人物往来社刊『日本城郭体系12』参照

【戻る】

資料
 

私見
三枝城跡である宝積院  置塩城を攻めたあとついでに寄ったのがこの三枝城跡でした。城跡である場所には宝積院が建っているのですが、このお寺見事な地形に建ってますよ。石垣やら石段やらあって「へぇすごいなぁ」と思って帰ってきたのですが、あとで三枝城の縄張り図を見てもっと驚きました。なんとそのまま城の地形を利用して建てられているんですよ。
 もっとよく見ればよかった・・と悔やまれる城跡です。
【戻る】