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細工所城跡 登城日:(2004.05.05) 所在地: 篠山市細工所 |
歴史 |
前方の山上にあり、天文年間末(1550ころ)に荒木山城守氏香が築き、約900平方メートルもの本丸をもつ立派な山城で、荒木城・井串城とも呼ばれます。 波多野秀治に属し「丹波の荒木鬼」と恐れられましたが、天正五年(1577)明智軍の猛攻をうけ落城しました。 東細工所に城館跡が、その東に明智勢が大砲を打った鉄砲丸という峰があります。 氏香は東本荘の館に隠退し、子の氏清ら一族は光秀に従い天正十年(1582)の本能寺・山崎合戦・坂本籠城にも参加しています。 『細工所城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
細工所城跡は、標高404メートル、比高170メートルの連郭式山城です。登城口を見つけるのがちょっと難しいかもしれません。案内板は分かりやすいのですが、そこから東へ緩やかな傾斜となって民家が立ち並んでいる中を少し練り歩かないと気づかないかも。うまく表現しにくいです(--; 首尾よく登城口が見つかるといざ登城開始です。登城道は整備されていて、ほぼ一本道だというのに何度も城址へと誘導してくれる看板があり、かなり親切です。道はそれほどきつい傾斜でもないので歩きやすいのですが、その分距離があるってことですのでかなり歩かされた、という印象が残っています。 この城跡は登城口の西側に対して防御するようなつくりになっているようで、大きな堀切が目を惹きます。そして200メートルにもわたるいくつもの連続した郭跡が延々と続いています。途中の景色はすぐれませんので「いつまで続くんだ?」という気になってきます。 主郭の手前で虎ロープが補助として用意されている急斜面があり、そこを登るとようやく主郭である頂上です。主郭は方形状をなしており、南側に一段低い郭が続いています。そこから南側への眺望は見えます。 明智光秀がここから東へ600メートル先から大砲を放ったと言われる鉄砲丸(『日本の中世城館調査報告書集成15』東洋書林刊)や、付近には支城である栃梨城もあり往時の激戦の様子を想像しながら、しばし一人でこの城跡を堪能させていただきました。
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