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瀬戸奥面台場跡


登城日:(2006.09.24)
所在地: 豊岡市瀬戸
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
展望台の崖下にある瀬戸奥面台場跡。  瀬戸奥面台場は、豊岡藩が築造した沿岸台場の一つである。豊岡藩は天保八年に但馬海岸一円の海防を任せられ、以後台場築造を実施していく。
 豊岡藩が築造した台場は「瀬戸台場」として呼称されているが、津居山、瀬戸、気比の3箇所に設置されていたようである。いずれも文久二年(1862)に完成した。

『城郭・陣屋・要害台場事典』東京堂出版刊参照

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資料
 

私見
 豊岡藩の台場を散策するのは非常に困難でした。唯一期待していた瀬戸奥面台場でしたが現在は日和山観光様(城崎マリンワールド、ホテル金波楼)の敷地を渡らねばなりません。一応散策のお願いをしてみましたが、突然だったことや休日であったこともあり叶わず泣く泣く退散しました。
 豊岡誌では瀬戸という表現となっていますが、『城郭・陣屋・要害台場事典』では瀬戸奥面台場、瀬戸港台場と4つにされているのに揃えています。日本城郭体系を見れば土壇がよく残っているようですが現在は危険地域としてフェンスに守られた聖地(;_;)となっています。マリンワールドへ入場すれば正面から撮影ができそうでしたが、台場めぐりの為とはいえ男一人水族館見学しながらはさすがに腰がひけてしまい、次回に持ち越すこととしました。まぁ、結局遠めでは何もわからないでしょうしねぇ(負け惜しみ)。
瀬戸奥面台場跡の石積み。 瀬戸奥面台場跡の石積み。 瀬戸奥面台場跡。かなり崩れてきています。  マリンワールドを楽しみつつ、念願叶って台場跡に踏み込むことを許可いただけました。遠めに見ると石積みが左右に数段確認できるのが驚きでしたが、これは一体・・。
 さて、近づいてみるとかなり波に侵食されて崩れてしまっているのが見て取れました。大きな石もごろごろしています。しかし遠めに見えていた石はなんとか現状を維持していましたが、これもこのままでは崩れてしまいそうです。さらによく見ていくと時代がまったく違う新しい石積みも見られます。ここを保全したのでしょうか。ごく一部だけでしたので用途がよくわかりません。
 台場跡とされる土壇は一応ありますが、草が伸び放題で状態はわかりません。少し分け入ってみますと石が続いているようにも見えました。いずれにせよ状態はよくないのでこのまま無くなってしまうことにならないか心配です。
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