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柴摺城跡登城日:(2006.12.10) 所在地: たつの市新宮町觜崎 |
歴史 |
柴摺城は、赤松季則の孫になる清則(小三郎や弥三郎とも名乗る)が鎌倉幕府二代将軍頼家に仕え、越部庄地頭を賜り、建保二年(1218)に觜崎西川の辺りに築城し、柴摺城と号したとある。また五代にわたって居城したというのは『播磨鑑』や『播磨古城記』にあるようだ。 新宮町発刊の『町史よもやま話』によれば、西川とは栗栖川であり、たびたびその位置を変えていっていたようだ。現在の觜崎墓地の周囲の字名が「土井後」であり、墓地の西側の田に「城ノ後(きのご)」の字名がつけられていること、さらにその西には「弥二郎」がある。柴摺城が別名弥二郎城とも呼ばれていたことがこのあたりを城跡として比定されている理由である。 『町史よもやま話』新宮町発刊参照
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資料 |
私見 |
柴摺城があったとされるあたりは視界が開けたところで、道路が近年城域と目されているあたりを分断してしまっています。国道179号線を旧龍野市側から北上し、「船渡」信号を右折し、左手に墓地があるあたりを目印にしてください。その西側が城跡ではないかと考えられているあたりになります。 改めて見渡してもなんら城跡を感じさせてくれる雰囲気はありません(^^;。新宮町の『町史よもやま話』の同城の記事を書かれた方に敬意を表し、また字名による城跡の追跡は私もやることがあるので非常に勝手ですが親しみを感じました。発掘調査はされないのかなぁ・・と思ったりもしますが、白黒はっきりさせずこのままにしておくのもロマンだったりしますよね。
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