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志方城跡登城日:(1999.05.23→2013.08.04) 所在地: 加古川市志方町志方町 観音寺 |
歴史 |
志方城は市易城とも呼ばれ、城の規模は現在の当観音寺の境内を本丸とし、本丸を囲む内堀の周囲に二の丸(志方小学校所在のあたり)西の丸(旧志方町役場所在のあたり)とかなりの規模の城であった。
この城の城主、櫛橋家は藤原氏の末裔で伊朝を元祖とし代々赤松氏の家臣であった。伊朝より5代の孫、櫛橋左京亮則伊は、赤松政則に仕えて大いに重んじられ祖父の例にならって播備作3国の財産出納の役をつとめ文明13年(1481)志方・天神山に城を築き、明応元年(1492)この地に志方城を築いた。以来伊家、伊定と父子3代80年間続いたが、天正7年8月10日羽柴秀吉の攻略にあって落城した。 『志方城跡案内板』より
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資料 |
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私見 |
2014年の大河ドラマが黒田官兵衛ですので、彼の奥さん「光姫(てるひめ)」の出身であるここ志方城跡も盛り上がっているだろうなと思って久々に立ち寄ってみました。折しも観光の方もいらっしゃいました。幟もあちこちで風にはためいていて、ここがもうすぐ注目される場所になるのかと思うと、感慨深いものがあります。敷地内には顔出しの看板もあり、閑静なお寺にはちょっと違和感があります。 またお寺の奥にある墓地の中にも幟がたてられていて、光姫のお墓がここだと示されていました。これは今まで気づきませんでしたので、新たな発見でした。丁寧に手を合わせると、その奥にある茂みを覗き込みます。小学校との段差があり、ここはかつて堀切でもあったような地形が残っています。少しでもお城跡である痕跡を見出したいのはお城好きならわかっていただけるでしょう(^^;)。かつては南側から本丸方向へと登っていくような段差を持つお城だったのでしょうね。
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