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白巣城跡
登城日:(2002.08.10)
所在地: 津名郡五色町鮎原三野畑白洲
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
白巣城跡に残る大堀切  白巣城は、淡路島の略中央に位置し、先山山系の標高三百十七メートルの高峰白巣山に構えられた砦で、周囲険阻、又とない要害無比の地で、戦略上最も重要な典型的な砦である。この砦の築かれたのは、室町末期頃より戦国の風雲急を告げる時、外部勢力との抗争に利用するため築城されたと考えられる。「味地草」に「古記に云う、白巣城は足利の末、安宅九郎左衛門冬秀ニ、三代居住すと・・」記されており、当時の状況から想像すれば、足利将軍義稙が大永一年(1521)淡路に走ってからのものと推定される。しかしはっきりした根拠はなく、古誌式は伝説によると、城主は安宅九郎左衛門冬康公で、今から約四百年前の天正九年(1581)一月に羽柴筑前守秀吉の淡路征伐により亡ぼされたと伝えられている。 白巣城跡本丸跡 時に、淡路の各城主は皆降伏したが、冬安公只一人が従わず、秀吉の軍勢が攻め登らぬよう城の登り坂に、竹の皮を敷きつめ勇敢に戦ったが、秀吉軍はこれに火を放ち、城を焼き討ちにしたのである。城主冬康公は、もうこれまでと覚悟を決め潔く火中に身を投じ、自害し果てたと伝えられている。ところで、白巣城の城郭についていうと、中世後期の築城で、山上の天嶮を巧みに利用した砦で、城郭は白巣山の丘陵上を削平し、大小十五の台地を造り、それに空掘りとか土塁を構えていた。台地の主なものは、本丸、東ノ丸、西ノ丸、馬責場、馬繋場、米倉、物見台等で櫓が築かれていたようである。

『白巣城跡案内板』より

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資料
 

私見
駐車場にある白巣城  白巣城がある五色町三野畑は高い山々が峰続きとなったなかに盆地状となった村中を通りぬけていくことになります。かなり遠くから城跡をさす標識が道に不案内な私を誘ってくれました。城跡がある山の麓から本丸へは徒歩では約50分かかるようですが、嬉しいことにかなり上まで車で進める道が整備され、本丸すぐ下部に駐車場がつくられています。
 ようやく一台が通れるほどの細い道幅の登城道をゆるゆると車を走らせながら登っていきます。道路脇からは豊かに伸び盛った夏草や木々がかなり視野を狭くし、ほんと恐ろしかったです。徒歩40分ほどの距離を車で短縮するわけなんですが、かなりの距離ですよね。
 駐車場からはすぐに頂上までたどり着きました。坂道をあがると左に東の郭、左に馬繋場があり、その先には本丸、そしてさらにその先には西ノ郭が「く」の字のように展開された形になっています。また、それぞれの郭には土塁や掘切などがみられるのですが、この8月の暑いさかりでは非常に確認しづらい状況です。膝下の高さまで伸びた夏草が本当に鬱陶しいです。
 十分に遺構を確認したとはとても言えませんでしたが、予想以上の立派なつくりに安宅氏の勢いを想像せずにはいられませんです。
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