HOMEへ Check   Twitterでつぶやく  

諏訪城跡


登城日:(2005.10.09)
所在地: 朝来市山東町大月
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
斜面に広がる帯曲輪 北側の郭の土塁  諏訪城の歴史は明らかでない。『朝来志』によれば寿永元暦(1182〜1189)に釘貫氏が居城していたか、あるいは応永年間(1394〜1428)に夜久野合戦で功を挙げた山名氏に属していた中路氏が居城していたか、あるいは徳川初期に因幡の湖山よりこの地にやってきた小山氏(小山耕雲斎)が居城していたというように3説あげられている。

『日本城郭体系12』新人物往来社刊参照

【戻る】

資料
 

私見
中央を走る堀切 中央を走る堀切  約1年ぶりに諏訪城探索にやってきました。前回は私の勘違いにより多くの方にご迷惑をかけてしまったこともあり今回は慎重に地元の方にも声をかけての登城となりました。すぐに城跡の場所は確定できましたので、同時に前回の失敗の原因がわかりました。持参していた縄張り図の上方向を北だと思い込んで無理やり近い地形を探してしまっていたのです(;_;)。うう・・
 さて、地元の方に現在は消滅してしまったかつての遺構についてのお話をひとしきり聞いた後で、城山東麓にある動物避けのフェンスのゲートを開いて入っていきます。
 諏訪城は比高25メートルの丘城ですが、いざ中に踏み込むとその複雑な起伏に一瞬でひきこまれてしまいました。
 諏訪城の縄張りは南北に独立した郭が2つ存在しており、その間には堀切が2本走っています。郭には土塁がめぐらされていて、周囲には畝状竪堀や段々に広がる帯曲輪や横堀など狭いエリアに密集して存在していました。横堀や帯曲輪を分断するかのように掘られた竪堀が後から改修を受けたことをあらわしているんだそうですね。文章で書いてもこの城跡の縄張りの妙を言い表せそうにないので控えますが(笑)、ぜひとも一度は訪れてみていただきたいです。以前実現できなかっただけに喜びもひとしおです。
【戻る】