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庄田城跡 登城日:(2004.07.19) 所在地: 三原郡緑町倭文庄田御土居 |
歴史 |
庄田城(船越館とも)がいつ築城されたのかは不明である。また船越氏が倭文の地に定着したのも明らかではない。文和二年(正平八、1353)に南朝方が挙兵し、守護の細川氏春と円鏡寺原で合戦となった。その際に船越定春・秀定が細川方について大いに戦果をあげているのでそれ以前か。 淡路守護細川尚春が三好之長に攻め滅ぼされた永正十六年(1519)後には、淡路は三好氏の勢力下となったが、この頃には倭文の領主藤原氏を滅ぼして船越氏が庄田の地に居館を構えたものと考えられている。 天正九年(1581)の羽柴秀吉による淡路攻めの時には、いち早く秀吉方についた船越景直が直参として活躍している。賎ヶ岳の合戦にも参加した景直は、河内にも知行を与えられるほどであった。さらには天正十二年には明石にも知行地を与えられ、淡路の本領を失うこととなった。 『日本の中世城館調査報告書集成15』東洋書林刊参照
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資料 |
私見 |
庄田城跡は、もともと意識して探していたわけじゃなかったのです。田んぼのなかに船越氏の館跡が残っているという記述を見たもののとても見つかるもんじゃないだろうと諦めていたんです。しかし、偶然庄田の地区に入り適当に田園の間の道路を走っていますと一瞬でピンとくるものがありました。単郭で単濠の方形状の地形とその東には川が流れている、ここが館跡だ!とわかった私は車をとめ、確認のため付近を散策してみました。すると館の南側の一段低い田んぼ、つまりかつての堀跡の脇には小さな石碑があり「庄田城」とあります。地元では庄田城と呼ばれているんですねぇ。 偶然に城跡を発見するのは楽しいですね。頭の中の想像の景色と同じものが目の前に広がった時のテンションは自然と高揚していました。遺構は特にありませんが、おそらく地形はかつてのままなんだろうと思い大満足したのでした。
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