HOMEへ Check   Twitterでつぶやく  

鷹尾山城

鷹尾山城跡


登城日:(2005.12.18)
所在地: 芦屋市城山
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
城跡から望む芦屋市街 南端にある鷹尾城曲輪  鷹尾山城(鷹尾城)は、永正八年(1511)瓦林政頼により築城された。当時細川家では高国と澄元との争いが起こっており、政頼は高国方の立場から阿波の澄元が京へと攻め上るルートを押える為にこの地に城を構えたとされている。
 築城後は何度かの戦いを全て打ち勝ってきた政頼であったが、同年七月二十六日の芦屋河原の合戦においても勝利を収め、寄せ手の細川尚春を置塩城へ敗走せしめた。しかし置塩城の赤松義村が大軍を率いて鷹尾城を取り巻いたため、政頼は敗れ伊丹城へと逃げ延びた。
 その後、細川高国が澄元を再び阿波へと押しやり赤松勢を播磨へ追い返した為、鷹尾城は再び政頼の手に戻った。その際に城の修復を行うとともに、平地に新たな城を築城、越水城を完成させた。越水城の完成後はこれを本城とし、鷹尾城は家臣の鈴木与次郎に守らせた。その後は永禄十一年(1568)に越水城が落城したと同時期に鷹尾城も廃城となったものと考えられている。

『ひょうごの城紀行(下)』神戸新聞総合出版センター刊参照

【戻る】

資料 【地図を表示する】
 

私見
二重になっている横堀遺構 土橋と両脇に竪堀が見られます  芦屋の高級住宅街をあがっていくと正面に見えてくるようになるのが鷹尾山城跡です。でもあとで気づいたのですが、城跡なのは鷹尾山の南側に隣接する城山(標高262メートル)なので要注意。でもこの辺りは大阪城の石垣を採石場だったということもあり巨石にもめぐりあえる場所なので石垣好きにはいいかもしれません。
 さて、登城ですが駅から歩いていたのではかなりしんどいので(笑)、とりあえず車であがれるところまでいってみました。ロックガーデンにいくハイカーの方々も停めている駐車スペースがありましたのでそこに停めます。そこからは思っていたよりも楽に山頂までたどりつくことができました。登城道は整備されていますので楽に登っていくことができますね。
 途中堀切と数段の曲輪がありましたが、頂上部はもっとも遺構が残っています。南側から上がっていきましたので曲輪が2段、そしてその先には大きな竪堀が切られています。東側には土塁があり、そこに沿うようにして横堀が2重に掘られています。東側の土塁はさらに竪堀が2つ連続し土塁が分断され横堀と繋がっています。
 さらにその先にもう一つ竪堀があり、奥に鉄塔がつくられた曲輪がありました。狭いエリアになんとせわしない(笑)遺構の連続です。
 その奥にも曲輪が続きますが、その先は鷹尾山のピークへと続いていますのでここまでです。この城山遺構は、戦前に軍が高射砲関連の施設を置いた際に手を入れたそうですので果たしてそれがどの部分にあたるのかはよく分かりませんでしたが、どうやら南北の郭と郭の間の横堀が塹壕として築かれたのだそうですね。混乱してしまいますが、東側にだけ竪堀が見られることからも、東側への意識をもって築かれたお城だったのでしょう。
【戻る】