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谷城跡
登城日:(2003.09.23)
所在地: 神崎郡市川町谷
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
本郭前につくられた堀切と石垣 登城口である大歳神社  谷城跡(永良城)は、標高206メートルの古城山山頂にあり、東西20メートル・南北40メートルの本郭跡と、その北側に一段低く16メートルx18メートルの平坦地がある。これをとりまいて、いくつもの平坦地が段違いにあり、土塁や石垣も見られる。北と南の尾根筋や東西の急斜面には何本もの堀切があり、中世山城の複雑な縄張りが良く残されている。
 城は室町時代、赤松則村(円心)の孫、永良則綱が明徳年間(1390〜94)に、永良庄を支配して居城としたのが最初とされる。その後赤松氏の北に対する守りの要地とされ、「残要の城」とも呼ばれたが、永禄のころ(1558〜70)戦火により焼失、廃城となった。
 城跡より北方の横倉山観音堂へは、尾根づたいに古道があり、遊歩道として整備されている。

『谷城跡案内板』より

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資料
 

私見
草ぼうぼうの本郭跡  谷城は大歳神社内にある石段をあがった先に遊歩道として整備された道を登っていく先にあります。しっかり整備されていますので夏場でも安心な山城だと思います。私も2回ほどくもの巣を払っただけで楽々たどり着くことができました。
 尾根伝いの遊歩道が頂上部の本郭に到達すると左へ少し迂回するようなカーブを描くようになりますが、すぐ右手には本郭南側につくられた大きな堀切を確認することができます。しかし良好に遺構が確認できるのはそこまでで本郭上には夏草がびっしりと生えそろい、ただの平坦地としかわからない状態です。(ってそれでいいのかも)
 案内板には土塁や石垣があると書かれていましたが、残念ながら確認できませんでした。と思ったら写真見直してたら石垣らしきものが写ってました(^^;。まあ、全体としてそこそこ遺構を見ることのできる山城であることは言えそうです。
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