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楯岩城跡
登城日:(2003.09.27)
所在地: 揖保郡太子町太子原坂
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
いたるところに見かけられる石積み  楯岩城は、『播磨鑑』によれば建武年間(1334〜1338)に赤松則弘が太田城を築城し、やがて嘉吉の変(1441)に落城したとある。楯岩城は太田城の出城、あるいは二の丸として1つに数えられることもある。
 やがて赤松伊豆守貞村が居城し、その後5代続いたが天正始めに、羽柴秀吉によって攻められ落城した。
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資料
 

私見
どう見ても自然のものじゃないですよねぇ 登り口の一つ。ロープが張られています。  特別養護老人ホームを目指して山頂250メートルの山道を登っていきます。道はよく整備されたもので車でもいけるのですが、老人ホーム前で分岐があり、そこからチェーンがはられており歩いて進むより他はなさそうでした。
 その老人ホーム施設のホームページには「楯岩城跡に建つ」とあるのですが、どうも違うような気がして左に分かれた山道をさらに進みます。途中あけびをもいでそのまま食べている家族があったりしましたが(関係ないですが「ダイヤモンドより美味い」という表現はいかがなものかと・・)、道の脇や右側の崖下には酷い不法投棄のごみがあふれており、嫌な気分にさせてくれます。こういうのがあるんでチェーンが張ってあったのですね・・(-_-#
 さて、左側の山側には途中いくつも大きな岩が顔を出していたり石垣跡のように少し積み上げられている場所もあります。途中何箇所も薮の中に踏み込めるところがあるので、無理に進んでみましたが緩やかな斜面が東西に長く続いており、配置されているかのような巨石が不思議と並んでいました。断言するところまでの確証はないのですが最近入手した本にあるような状態でしたので一応ここを楯岩城跡として、この場をあとにしました。
 ほんとはそのまま先に進めば太田城の本丸に続くんでしたね・・・忘れていました。(リベンジしないと)
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