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秩父山城跡
登城日:(2003.08.15)
所在地: 姫路市新在家1丁目
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
ただの薮と化している城跡  秩父山城は、「播磨鑑」よれば英賀城の家臣である秩父八左衛門がこの地にいたとされている。当時は水原山と言われていたのを、秩父山に改めたようである。
 「姫路城史」いは永享十二年(1440)に赤松満祐が自らの下知に従わない姫路の豪族を追放したとあり、その中に水原山構主山之井刑部二郎一光の名がある。その後に秩父八左衛門が居城したものであろうと考えられている。

『中世城館調査報告』参照

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資料
 

私見
ただの薮と化している城跡  秩父山城はその名前からうっかり秩父山公園へと行ってしまいました。が、実は姫路城にほど近い新在家の住宅地の中にあります。山城といってもかつての姿はすっかり宅地化により壊されてしまい、今はやや小高い薮が残るのみです。
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