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塔の尾城跡
登城日:(2004.09.19)
所在地: 城崎郡香住町一日市字城山
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
海に浮かび上がった風に見える城跡  塔の尾城は、延元元年(1336)に志馬比城の篠部氏を破った長九郎左衛門が釣鐘尾城主野石甲斐守源太と領地を分け合った末、一族と居城していた。
 やがて、これを奈佐宮井城の篠部伊賀守の弟である篠部三河守は、篠部氏の弔い合戦として塔の尾城を攻略した。応安三年(1371)、長佐兵衛尉信連の九代後胤である長加賀守忠連が再び城を奪取することに成功した。
 城は、やがて天正八年(1580)の羽柴秀吉による但馬攻めによって、落城した。

『日本の中世城館調査報告書集成15』東洋書林刊参照

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資料
 

私見
岡見公園からみた城跡  塔の尾城跡とされる場所には現在、灯台が建ち香住湾を見下ろしていました。周りは穏やかな波間に釣り糸を垂らす釣り客が楽しんでいます。車を近くに停め少し歩いてみます。というのもこの城跡、標高80メートルとさほど高くはないのですが、急な崖となっており、登城口がなかなか見つけられません。
 南側のガソリンスタンドの手前に大きな「長父子の碑」が建てられています。残念ながら南側には登城口を見つけられず、岡見公園のほうへと歩みを向けてみます。すると左脇に登城口を見つけました。が、これもまたあまりにも急な段々が続いています。
 一旦、岡見公園にあがってみました。ここからは日本海が一望でき、また塔の尾城跡である城山がよく見えます。まわりを断崖に囲まれた日本海を一望できるこの小さな城にまで羽柴秀吉の軍勢が攻め寄せたんですね・・。兵庫県は広いですが、多くの城跡の歴史において羽柴の名がでてきます。秀吉と兵庫県の城、一度なんらかの切り口で取り組んでみたいテーマだ、と再確認した瞬間でした。
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