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豊岡城跡 登城日:(2000.03.18) 所在地: 豊岡市宮町神武山公園 |
歴史 |
神武山(標高49m)の名は、明治五年(1873)の神武天皇遥排所設置によるが、山容から亀城・亀山、城の所在から城山とも呼ばれる。
伝承では、15世紀ごろ、九日市に守護所を置く但馬守護山名宗全がこの山に築城、被官垣屋氏に守らせたという。戦国末期、垣屋氏が事実上の但馬実力者となるに及び、この城(当時は城崎城と呼んだ)は但馬支配の中心拠点となった。 天正八年(1580)、羽柴勢の但馬占領によって旗下宮部善祥房が入城、木下助兵衛尉、明石与四郎、福原右馬之助と続き慶長二年(1597)杉原長房に至った。 承応二年(1653)、杉原家断絶により城は破却されたと見られるが、本丸・萩の丸・笠の丸の他、天守台などの遺構が残された。 寛文八年(1668)、京極氏代に入ると、城山は城郭遺構を保持したまま陣屋及び城下町の象徴となった。 豊岡城こそは、豊岡市の中世・近世における歴史的原点である。 『豊岡城跡案内』より
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資料 |
私見 |
小高い丘を一気に走りあがるとすぐに頂上に出ることができます。そこには「本丸跡地」を記した碑があり、縄張り図が建てられています。しかし残念ながら遺構は分かりませんでした。まぁ、陣屋とセットでよしとするかな、といった程度ですね。
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