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豊岡藩陣屋跡
登城日:(2000.03.18)
所在地: 豊岡市
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
図書館前に残る陣屋門 付:近一帯は、中世以来の全但馬地方支配の拠点となった場所である。
江戸時代及びそれ以前の織豊時代には陣屋や領主館が置かれ、さらに古くは但馬守護山名氏の全但馬支配の為の重要な位置を占めていた。
図書館建設に伴って発掘調査をしたとことろ、現在の地表面から約二メートル下に江戸時代後期の建物跡が、さらに数十センチ下には江戸時代所期の建物跡などが見つかっている。その下層からも織豊期の建物跡などが多くの遺物とともに発見された。
円山川の洪水から陣屋を守るため、当時大量の盛土が施され、各時期の遺構が地下に良好に遺存することとなったものである。
陣屋(政庁)の北と西側を限る堀や石垣、裏門(搦手門)の痕跡も見つかり、江戸時代初頭ころの豊岡陣屋の実態が明らかにされた。
関係あるかどうかは不明・・(^^; ◆旧豊岡県庁の正門
旧豊岡県庁門は、明治三年、当時の久美浜県(現京都府熊野郡久美浜町)の県庁建設に伴って造られたもので、翌明治四年、豊岡県に合併された際、庁舎とともに現在の場所に移築された。
明治九年に豊岡県は兵庫県と京都府に分割され、その後城崎郡役所として利用されたが、大正十二年の改築を機に庁舎のみ再び久美浜町に移築され、現在、神谷神社社務所(京都府指定文化財)となっている。
旧県庁正門は、横幅8.4メートル、(瓦屋根部分横13.2メートル)、高さ7.6メートルの総欅造りの脇戸付薬医門で、豊岡県庁当時の唯一の証として、豪壮な姿を今に伝えている。

『豊岡藩陣屋跡案内』より

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資料
 

私見
豊岡陣屋は元和の一国一城令の際に、豊岡城が廃城となってかわりとして建てられたものでした。城主はなく、しばらくは幕府直轄の地として代官が治めていましたが、寛文八年(1668)に舞鶴城から京極高盛が入封してきました。以降京極氏が代々続き、明治にまで九代が納めることとなりました。
元々豊岡へは豊岡城跡を目指して来たのですが、そのすぐ近くに陣屋跡があったことを知り、ついでに寄ってみました。寄ったといっても城跡となっている小山の麓にあるのですからもうほとんど一緒ですね。
陣屋跡の遺構は、図書館前にどーんと建てられている門と図書館横の屋敷跡くらいでしょうか。案内板があるので一応熱心に発掘したのだということはわかりましたが、その発掘は図書館を建設するためということでしたので結局ここにはほとんどなにも残されていないのですね。
まあ当然なのかな・・・。
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