HOMEへ Check   Twitterでつぶやく  

鴾ヶ堂城跡
登城日:(2004.02.14)
所在地: 赤穂市有年横尾
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
ここから一気に山城の様相を見せます。  鴾ヶ堂城跡は太田弾正が居住していたといわれている(現地の標柱には小田弾正とある)。太田氏は赤松則景が太田入道従五位播磨守と名乗ったのが最初であるといわれている。が、赤松系資料にはこの城の名はなく、『赤穂郡志』に見られる。詳細はよくわかっていない城である。

『日本城郭体系12』新人物往来社刊参照

【戻る】

資料
 

私見
主郭らしきあたりには石垣もありました。 お城風ってわけでもない展望台  JR「有年」駅の南側、標高196メートルの三重山の山頂に小さな建物らしきものが見えることは少し前から気づいていました。実はそこが鴾ヶ堂城跡だったんですね。
 城跡へは有年駅前を南下し、すぐ細い路地を右折し、「赤穂ふれあいの森」のゲートをくぐりながら上り坂をあがっていきます。実はここに車を停め、歩いて登るのかと思うとちょっと腰がひけてしまったくらいのとんがった山です。しかしまだまだ車で走ることができました。
   験行寺まで車であがるとそこから案内に従い、500メートルほどを歩くことになります。途中ちょっとしたアスレチックの遊具もあり、山城を歩く気がしないのですが、そこから一旦下り城址碑があるあたりから雰囲気は一変します。
 堀跡や土塁跡、さらにその先には空堀跡が横たわっているのが確認できました。(実は3本だったのですが2本しかわかりませんでした。)そしてその先には石垣も残っています。一気に遺構のオンパレードといった感じ。
眺めは文句なく最高です。  約100メートルくらいの長い南北に伸びた山頂部には階段状にいくつか削平地が続いています。そしてその先には、三層の展望台が作られていました。そうです、駅前からかすかに確認できた建物がこの展望台だったんです。子供の体のことを考えたらしいことや厳選された木で造られていることが書かれていましたが、最上階にあふれんばかりの鳥の糞の前には何の説得力もありません(笑)。(すいません・・)
 さて、一番北部には大きな岩が横たわり、そこからの眺めは最高です。ここでお弁当を食べるといいでしょうね。「さて、今度はどこに登ろうか。」私は周りの山城を物色していましたが・・(^^;
【戻る】