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恒屋城

恒屋城跡


登城日:(2003.08.13→2009.11.07)
所在地: 姫路市香寺町恒屋
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
恒屋城遠景 南北に延びる土塁  恒屋城の築城時期は、正確にはわかっていないが、十五世紀中頃の嘉吉や長禄期あたりと考えられており、築城者は恒屋伊賀守光氏とされている(その先代の重氏が初代城主とも)。その後天正期の五代政直の頃に羽柴秀吉による中国遠征があり、恒屋氏は周辺の諸城と共に毛利方の立場をとり、秀吉方の軍に備えた。同四年(1576)押し寄せる秀吉軍の前に、置塩城主赤松則房が開城し、翌五年には恒屋城は、田野城、矢田部城などと同じく落城していった。(『恒屋城 歴史をつなぐよもやまつづり』中寺校区地域夢プラン実行委員会刊参照)

進路を遮断する横堀 恒屋城主郭  頂上の北側が後城(標高236メートル)、南側が前城(標高199メートル)です。この城は嘉吉年間(紀元1441〜1443)に恒屋氏が築城し天正四年(紀元1576)羽柴秀吉のちの(豊臣秀吉)によって落城しました。その折に恒屋氏は滅亡したようです。城の遺構本丸、出丸、土塁、堀、など中世の山城の典型的機構が残り城の下には堀をめぐらした居館跡も見受けられます。

『恒屋城跡案内板』より

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資料
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私見
南の郭にたつ小屋 南斜面上の竪堀  恒屋城の脇を通るたびに、少しずつ山城らしい風格と言いますか、地表面に残る遺構が遠目にも雰囲気が分かるようになってきて(草刈のおかげです)、ワクワクなってきますね。そして改めて登ってみますと、その状態の良さに驚かされます。南側の畝状竪堀もよく分かるようになっているじゃないですか!タイミングもあるかと思いますが、地元や有志の方の手によるこうした山城の整備にはいくら感謝してもしきれませんね。私が訪れた時は伐採した木々が西側の竪堀を埋めるように集められていましたのが、惜しかったなぁとは思いましたが(^^;
西側斜面に残る畝状竪堀 城内にあった供養塔?  南北に伸びた城内を主郭方面へと歩みを進めます。横堀や土塁、そして右手には折れを持つ段差など良好にわかる城郭遺構にしびれます。草ボウボウだとこうはいきませんね。そして右方面に進路をとり、斜面を上がっていくと虎口を持つ主郭に到達です。ここからの景色もまた素晴らしい。北側にも視界が広がるので、達成感と爽快感が同時に突き上げてくれます。
 戻るついでに西側斜面にある畝状竪堀も確認しましょう。ただここは傾斜が急ですので、注意が必要です。ここは下草もあまりありませんので、地表面の凸凹がよくみてとれます。書籍等で見る恒屋城の縄張り図や往時の姿を復元した想像図が、現地での印象とぴったりはまり、素晴らしい状態ですね。
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