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魚吹津構跡登城日:(2005.11.04) 所在地: 姫路市網干区宮内 |
歴史 |
小字名を「殿垣内」と言い、周囲は幅5〜6メートルの堀に囲まれていた。嘗ては播磨の中心だった英賀城の出城で、嘉吉の乱(1441)の時代に、すでに津の宮城との記録があり、天正八年(1580)秀吉攻の時、構主合田助九郎は部下八名と共に討死、この時津の宮も焼討された。別名を勝城とも言い、堀内に門口、番屋口、中の門、北の門の地名が残っている。
『魚吹津構城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
魚吹津構跡は、山陽電鉄網干線「山陽網干」駅から北へ約700メートルあがった宮内の信号を右折。魚吹八幡神社の前を通過した先に小さなお堂と石碑が建てられているところです。 なぜだか石碑にやたらとハチがたかってます(--;。ま、それはさておきこの構跡のほかにも英賀城の出城はあるようですので楽しみにしてまた巡ってみたいと思います。
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