Check |
打出陣屋跡 登城日:(2004.01.14) 所在地: 芦屋市翠ヶ丘町 |
歴史 |
打出陣屋は、文久九年(1861)三月海岸防備の為、設置され長州藩が配された。幕末の動乱の中、神戸事件などを経てやがて、その警備の藩も備前藩、尼崎藩と移り、明治ニ年(1869)三月、その役割を終えた。 ◆阿保親王塚 平城天皇の皇子、阿保親王(西暦792〜842)がまつられており、親王は深く打出浜の眺望を愛で、ここに別邸を営んで風月を友とせられたという。 周囲350メートルの陵域は旧打出村の自然美を伝え、塚は古代の円墳で径約36メートル、高さ3メートルあり周濠をもつ。伊勢物語「芦屋の段」でゆかりのある在原業平は親王の御子である。拝所の正面にある四対の石燈籠(一対は阪神大震災により滅失)は長州藩主毛利侯の寄進といわれる。 親王塚は、現在宮内庁で管理されており、毎年12月の命日には、正辰祭が行われている。 『阿保親王塚案内板』より
|
資料 |
私見 |
もはや城ではないです。えぇそうです(笑)。さて、同陣屋は、現在阿保親王塚があるところから東へ視線をやりますとわずかではありますが上り坂になります。周囲にはマンションや民家が立ち並んでいるので完全にその姿は消滅していますが、おおよそ現在郵便局が立っているあたりではないでしょうか。(ご協力くださったMichaelさんに感謝) 海岸防備でここに陣屋があったとのことですが、かつてはここからでも海が見渡せていたんでしょうか。静かな住宅街をきょろきょろしながら陣屋の姿を考えていたのでした。
|