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山下城跡登城日:(2013.08.03) 所在地: 川西市山下 |
歴史 |
山下城の築城時期については詳細不明である。天禄年間(970〜973)に源満仲の婿塩川刑部丞仲義が新田城の支城として築いたとする説、南北朝期に塩川伯耆前司仲章が築城したとする説、そして天正七年(1579)に塩川伯耆守国満が織田信長から与えられたとする説などがある。 永禄十一年(1568)に、織田信長が足利義昭を擁して京に入ると共に、摂津を支配していた三好衆を撃退した。この時に信長に降伏した国満は、旧領安堵を認められ、山下城に入った。天正六年(1578)荒木村重が信長に反旗を翻した際に一旦は荒木方に付いた国満だったが、戦わずして信長に帰順。以後は丹波攻め、有岡城攻めなどに加わり戦果をあげることとなった。 同十年(1582)の本能寺の変後は、羽柴秀吉に仕え山崎の合戦や紀州攻めなどにも参陣したが、同十四年に秀吉の怒りに触れた国満は、山下城を攻められ自刃して果てた。この時、山下城も廃城となった。 『図説近畿中世城郭事典』城郭談話会刊参照
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資料 |
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私見 |
山下城は、一庫ダムのすぐ南に位置し、古城山と呼ばれる標高188メートルの山上、及び北西方の向山を指すようですが、今回は中心部である古城山を目指すことにしました。暑い盛りの8月上旬、天気は上々という山城攻めには極めて厳しいコンディションでの登城となりました。登城口は城の南側麓から真っ直ぐ伸びた山道が作られてあり、夏場でも歩きやすくなっていたのは有り難かったです。また比高もさほどありませんので、すぐに小さな社が建つ平場に出、そこから右へと進路をとって右手側の尾根筋に出ます。一気に視界が開け、城の南方が一望できる絶景を望むことができますのでここで一休みをしてもいいでしょうね。ただ夏場は直射日光を浴びてしまいますので、今は先を急ぐことにします。 次第に山城らしい雰囲気や遺構がよく分かるようになってきます。大きな郭が五段ほど連なる場所はかなりの規模ですね。ただ桜の苗木が植わっていますので、近年改変されたのかどうかは分かりません。それとわかるような土塁も見えませんね。 そして、主郭です。右手に土塁があり、最奥部は櫓台状の規模が残っています。今は木が茂っていて眺望は望めませんが、当時は周囲を見渡せていたんでしょうかねえ。南側には尾根先へと続く郭があるようですが、少し眺める程度にしておき、最大の見所である北側の二重堀切へと下っていきます。 主郭裏の急な斜面を注意深く降りていきますと、ありました!ぱっくりと口を開けた堀切が2つも。そしてそれらはやがて繋がって竪堀として落ちています。北側への防禦意識が高かったのですね。ここだけ草がなく、現在もくっきりと残り侵入を遮っているのは造り手の執念のようなものさえ感じてきます。 そこから斜面の道を進んでいくと竪堀が綺麗に落ちているのを見ながら戻っていくことができますので、城好きには堪らないルートだと思います。夏場でもそれほど苦労なく、そして遺構も良好に残っているのを確認できるというすばらしい山下城。是非とも多くの方に訪れてみていただきたいと思います。
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