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柳沢城跡 登城日:(2004.07.19) 所在地: 津名郡一宮町柳沢 |
歴史 |
◆八王子大権現の由来 今からおよそ四七〇年前天文初年柳澤隼人佐直孝京都(柳原公家末孫廣田氏初代)がこの地に築城した時、城中の守護神として京都八坂神社より八王子権現を勧請しお祭りしたのに始まる。その後守護神は治国の神として代々の城主領民たちから崇敬されておりました。なお柳澤城開城後も村人たちの手で祭られておりましたが此の度、社殿を再建し京都八坂神社より祭神を再勧請してお祭りすることになりました。祭神は素戔鳴命、櫛稲田命及び八柱御子神(五男神・三女神)であり古くから厄除の神、農水産の神、商売繁盛、並びに安産の神として知られている。 ◆旧柳沢城の見張り台 この地は、天文(1532〜)、弘治(1555〜)、永禄(1558〜)、元亀(1570〜)、天正(1573〜)年間の約四十年に渡り、柳沢隼人佐直孝が、柳沢、草香の領地を治めていたころ柳沢城の見張り台のあった場所で、郡家、尾崎方面を往来する船も監視したといわれています。 また、北側には伊弉諾神宮(いざなぎ)、南正面には岩上大明神を拝し、そのあたりに残る山路や岩上大明神に通じる参道も現存し、人々に天正の昔を語りかけています。 『柳沢城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
柳沢城跡は、本にもあまり紹介されていないのでよくわからなかったのですが遠くからでもわかるよう、町内に入ると標識がいくつも立てられています。そんな至れり尽くせりな状態でも2度ほど迷いながら(笑)、まずは八王子大権現の由来が書かれた案内板と文字が消えかかっている標柱を見つけました。丘陵地の傾斜を利用した城のようで、その上に城址碑が置かれているようです。気になるのはここまで導いてくれた標識はここじゃなくまだ先を指しています。「柳沢城見張り台」へと導く標識だったんです。(^^; とりあえず指示されるままさらに奥へと走らせます。城跡から2キロ弱ほどあるんじゃないでしょうか、車を降りてからも300メートルほど歩き、ようやく見張り台につきました。簡単な見張り台が再現されており、ここからは町内だけじゃなく、遠くまで見渡せるようになっています。もっとも今の季節は木々が邪魔してそれほどよく見えないんですが・・。さんざん引っ張られた結果がこれ?(^^;という気がしたのですが、私だけかもしれませんが。
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