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温泉城跡登城日:(2007.11.25) 所在地: 美方郡新温泉町湯 |
歴史 |
湯集落南側、岸田川の支流春来川(はるきがわ)と稲負谷川(いなごだにがわ)に挟まれた白毫山(びゃくごうさん)に所在し、城域は東西400メートル、南北200メートルある。 標高338メートルの高所に位置する主郭(東西41メートル、南北25メートル)を中心として三方向に延びる尾根に階段状の堀切・竪堀で防御している。 南北朝期に起源を持つ城ではあるが、横堀や畝条竪堀を含む30本を越える竪堀の存在から、戦国時代末期に改修された城である。 温泉城の詳細は定かではないが、延文元年(1356)に北朝方である伊達真信に攻め落とされている。その後は奈良氏が居城したという。 『温泉城跡案内板』より
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資料 |
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私見 |
温泉城が”ゆのしろ”と読むのを知ったのは最近でした。なぜ”じょう”じゃないのでしょう。ものすごく興味があります。 さて、温泉城は湯村温泉を南側から見下ろす山頂に位置しています。登城道は「そんなに離れて大丈夫?」と思うくらい南側からのアプローチになります。国道9号線「歌長北」の信号を南へ折れ春来川を渡り、2〜3キロはあるでしょうか健康公園まで来ると城跡へと誘う標識が出ています。それを左折し、ログハウスを横目に見ながらこんどは道成りに北へとまっすぐに進路をとります。だんだん細い道になりますが、それがそのまま城域まで続いているとは驚きです。良い悪いの意見が分かれそうですが、ここまで楽ができるのは予想外ですよ。 突き当たりからは少し直登が必要になりますが、10メートル程度でしょうからすぐに尾根筋に出ることができます。ゆるやかな削平地の段をすぎ、畝状竪堀が3条でてきました。と言っても11月末に行った私でもあまりよく見えませんでしたので下草のため十分に観察することは困難です。 そして、主郭に続く山頂部へと出ました。一気に広い郭となり、眺望も開けてきました。大きく4つの郭からなる山頂部の周囲には但馬地方の山城でよく見られる畝状竪堀が多く作られています。さらにこのお城の特徴の1つに竪堀と横堀が繋がったような「U字形竪堀」と言われる遺構が見られます。場所によっては堀跡がかなり埋まってしまっているのかうっすらとかすかに残る程度のものもあります。時折突然下草がまったくないポイントが出てきますが、ひょっとして地元の形が草を刈ってくださっているのでしょうか。遺構を見たいなぁと思う地点でその傾向が見られますので、おそらくは城跡を見に来られたどなたかがやってくださったのかもしれません。(^-^ 温泉城は不思議と土塁がほとんどありません。現在確認できるのは主郭2つ手前の郭の北側に少し残っている程度で、そこだけというのも変な気がします。主郭から見て城は3方に尾根に沿って城域が延びています。東側から来ていますので、今度は南西側の遺構を確認してみることにします。 南西は主郭の半周をまわるようにして細長い郭があり、その下に大きな郭が配置しています。周囲には竪堀、そして圧巻は尾根先にある三重になった横切+竪堀遺構です。ここの堀切はかなりえぐられたように残っており、今でも移動にてこずらされます。ただ残念なのは写真が撮りづらい!!! さて、気を取り直して(でもテンションは最高潮です)、北側に伸びる尾根へと移動します。ここでの見所は主郭すぐ下の郭下に掘られた堀切に5つの畝状竪堀が繋がった状態の遺構を見ることができます。と言っても縄張り図で見ていたら感動していましたが実際ここは埋まってしまっているのか今では「まぁそう見えるかな」程度です。あ、私の感覚なので興味をもたれたかたは是非ご確認ください。(^^; そして小さな郭がいくつも続きますが、ここは古い時期の遺構でしょうか。その先にはいくつもの竪堀があり、そして尾根先にU字形竪堀もありました。北側一帯はほとんど下草がありませんので比較的じっくり見ることができていいですね。 以上、かなり長文となってしまいましたが念願かなった温泉城を十分満喫できて「極楽、極楽。」ほんといいお湯でした。個人的な意見を言わせていただくと、すでに車道が城域直下までできてしまっているのですから城跡の構造を分かりやすく看板を立てるとか、下草を刈って遺構を見やすくする整備をされてもいいんじゃないかなと思います。ここは間違いなく訪城者を満足させてくれるいいお城ですのでもっと有名になってもいいのになぁと。温泉城+温泉の城めぐにいかがでしょうか。
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