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善防山城跡 登城日:(2004.02.10) 所在地: 加西市三口町、他 |
歴史 |
善防山城は、築城年代は明らかではないが、城主は則繁は赤松義則の八男である赤松刑部(左馬介)則繁である。 嘉吉の乱(1441)で足利義教の暗殺に成功するや播磨に戻った則繁であったが、城ノ山城に篭ったため善防山城はあっけなく山名勢の前に陥落したようである。 『日本城郭体系12』新人物往来社刊参照
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資料 |
私見 |
善防山は下里小学校から、下里農協前のバス停前から、それと反対側の笠松山側など登り口があるようです。前回はバス停からいったのですが、今回は下里小学校のところから登り始めました。 少し前にも登りましたので前面岩盤が占める尾根にも多少慣れ(笑)、眼下の景色も楽しみながら登れました。 陽気のせいでもあるのでしょうが多少汗をかきつつ、第2頂上へ到着しました。城跡としていうなら四郭です。大きな石が組まれているのが確認できます。段差があるのは虎口跡だそうですね。 さらに進むこと三の郭跡では西側の眺望が広がり、そして主郭跡では帯曲輪状の段差がある、一番大きな郭跡です。ここが標高251メートルの善防山の頂上です。 ほとんどが岩盤だったり、傾斜が急だったりとかなり攻めるのが難しそうな城であるような気がするんですが、実際は攻め難くしようとして油を塗った竹の皮を敷き詰めたことがあだになって火攻めに遭い、すぐに落城してしまったんだとか・・。もったいないことです。
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