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古河公方館跡
登城日:(2003.05.04)
所在地: 古河市、古河総合公園
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 古河公方館跡碑  ここは旧御所につきでた半島の中ごろで、古河公方足利氏以来別館のあった趾で、鴻巣御所とも呼ばれていました。成氏が鎌倉から古河に走ったのは康正元年(1455)で、二年後の長禄元年(1457)には下河辺氏の築城した古河城を修築してここにうつりました。それから後、古河公方成氏、政氏、高基、晴氏、義氏に至る百二十余年の間古河は関東一円に重要な位置を占めていました。ここにあった館も義氏の一人娘氏姫までありましたが、古河公方の城趾が大正初期に渡良瀬川改修工事のため、大部分河敷となり、この鴻巣御所趾は往時をしのぶ史跡として意義深いものがあります。この碑の西と東には、当時の空堀と土塁をとどめています。

『古河公方館跡案内板』より

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資料  

私見 土塁と空掘跡が残ります。  古河公方館跡は古河総合公園内にありました。駐車場左奥からまっすぐいくと古い住居を再現しているさらにその奥に、館碑が2つたてられているところに着きまました。
 碑だけの城跡かと思ったのですが、よくみたら空掘と土塁が残っているのだけはわかるようになっています。何かと関東をお騒がせした方の館跡なのでもっと案内板やら遺構を期待したのですが、ちょっと物足りなさを感じてしまいました。
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