土浦城跡 登城日:(2003.05.05) 所在地: 土浦市中央一丁目 |
歴史 |
土浦城は、一名亀城ともよばれ、平城で、幾重にも巡らした濠を固めとする水城でもあった。城は、城跡に指定されている本丸・二の丸を中心に、三の丸・外丸のほか、武家屋敷や町屋を含み、北門・西門を結ぶ濠で囲む総構えの規模をもつものであった。 江戸時代の建物としては、本丸表門の櫓門・裏門の霞門、二の丸と外丸の間に移建された旧前川門(高麗門)があり、復元された建物としては、東櫓・西櫓がある。 戦国時代には、城主は若泉氏、信太氏、菅谷氏と変遷したが、織豊期には結城秀康の支配下に入った。江戸時代の城主は松平(藤井)氏、西尾氏、朽木氏、土屋氏、松平(大河内)氏と変わったが、土屋政直が再び入城して、以後明治維新に至るまで土屋氏(9万5000石)の居城となった。 明治以降、本丸跡は土浦県庁、新治県庁、新治郡役所、自治会館などに利用されたが、現在は二の丸跡の一部とともに亀城公園となっている。 『土浦城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
土浦城は土塁と水堀が美しい城址公園となっていました。本丸は東西約90メートル、南北約50メートルの楕円形となっており、南側には太鼓門と呼ばれた、現存する櫓門があり、また東北には霞門と呼ばれた薬医門がありました。さらに、東側と西側にそれぞれ復元された二階隅櫓もあります。建物好きな方も気に入っていただける城跡公園じゃないでしょうか。 ですが、この土浦城かなりくせものです。なかなかいいカメラアングルがないんですよ。櫓のまわりには背の高い木が生え揃っているのが難点です。どなたか「会心の土浦城」の見本を見せていただけないかなぁ・・とか呟いてみる(--;
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