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七尾城跡


登城日:(2006.05.04)
所在地: 七尾市古城町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
駐車場にあった七尾城縄張り絵図 本丸に建つ七尾城の石碑  七尾城は室町幕府三管領の一つ、畠山氏から分かれた能登畠山氏の居城である。
 石動山山系の北端に位置し、標高約300メートルの尾根に長屋敷(長殿丸)・本丸・西の丸・二の丸・三の丸などの曲輪を配置、この尾根から枝分かれする幾筋もの尾根にも大小無数の砦を配置している。それ故に、七尾という地名は、七つの尾根に由来するという。



調度丸に残る石積み 七尾城二の丸斜面の石垣  築城年代は明らかではないが、戦国期に入ってから逐次拡張・増強されたとみられる。永正・天文(1500年代前半)の次代は最も政治的にも安定し、文化が栄えた。大永六年(1526)当代一流の歌人冷泉為広・為和父子が七尾城に来訪し、天文十三年(1544)の記録では、城山山麓に城下町「千門万戸」が一里余りも連なったと見える。
 天正五年(1577)、越後の上杉謙信の攻略にあって落城、能登畠山氏は滅亡した。
 本丸から三の丸にかけての一帯は、地形を巧みに利用した規模雄大な縄張と、石垣・土塁・空堀、それらを備えた曲輪の保存状態が良いというので、昭和九年十二月二十八日国の指定史跡となった。

『七尾城跡案内板』より

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資料
 

私見
七尾城本丸下に残る石垣 七尾城本丸下に残る石垣  七尾城へは山麓から車道が整備されていますので、本丸を見上げるところまで車でいくことができます。2キロ以上のくねくね道をあがっていく途中でも遺構を確認できますのでその城域は相当広範囲に渡っていることがわかりますね。
 車を降り、左の急斜面を時折見上げながら調度丸を通ります。築地塀の基礎らしい石積みが残っています。そこから左へ視線を送ると石垣が何段にも連なった曲輪がでてきました。桜馬場、遊佐屋敷そして本丸跡と続くいわゆる総石垣造りです!このあたりからあちこち慌しく走りながらいろんな角度で石垣を眺めてました(笑)。  そして、思わず足を止めずにはいられない本丸下の3段の石垣!よく石垣造りの山城に行くと必ずと言っていいくらい思うのが「よくこんな山の中にこれだけの石を集めたよなぁ。」。これで何回目になるんでしょうか。


七尾城本丸奥にある神社跡 七尾城からの眺望も素晴らしいです。  本丸からは駐車場が見下ろせます。こんなに落差があったんですね。また、本丸には遊佐屋敷との間の斜面に高い土塁が作られています。裏側は枡形になっています。ここまでの規模の山城はなかなかないですねぇ〜。
 天正五年に七尾城を攻めた上杉謙信が城を囲んで仰いだ月明かりをみて感動したとか。月光に映える石垣はさぞかし幻想的だったことでしょう。二の丸まででもすっかり満足でしたが、まだ堀切の先には三の丸を含む郭群、また調度丸とは反対側にも郭が続いています。一日で観終わるにはもったいないお城でしたのでまたいつか来ようと思いました。
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