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盛岡城跡
登城日:(2003.06.27)
所在地: 盛岡市、岩手公園
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
高い石垣が見事に残っています。  盛岡城は慶長二年(1597)に鋤初め(起工)をしたと伝えられ、翌三年に豊臣秀吉の許可を得て本格的築城が始められました。その後、寛永年間にかけて城郭の整備が進められ、盛岡藩主南部氏20万石の居城でした。
 城は当時の北上川と中津川の合流地点近くの丘陵に築かれ、本丸・二の丸・三の丸を中心に、腰曲輪(淡路丸)や榊山曲輪などの平坦部が配置されています。本丸や二の丸の一部では自然石を用いた築城当初の石垣、また、二の丸の西側では貞享三年(1686)に積まれた切石の高石垣など異なる年代のさまざまな石垣が見られます。
 明治維新後、盛岡城は陸軍省の所管をへて、明治三十九年(1906)、岩手県が城跡を中心に整備を加え、岩手公園として開園しました。昭和九年(1934)に盛岡市に移管され、同十二年(1937)国史跡に指定されました。
 現在岩手公園は、城跡の風格ある石垣に調和した園地の修景が行われ、春には桜、秋には紅葉が美しく、四季を通した憩の場として、広く市民に親しまれている総合公園です。

『盛岡城跡案内板』より

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資料
 

私見
高い石垣が見事に残っています。  盛岡城は南部氏二十万石の居城でした。本丸・二の丸・三の丸・北郭・東郭・本丸腰郭・居館の郭などに分かれて構成しており、北上川と中津川が外堀として流れていました。また内堀も掘られ、防備に優れた城だったようです。中でも特筆すべきは石垣の高さと、盛岡御影石と呼ばれる当地の石で作られた見事さですね。かつては三層の天守があったようですが、現在は建物遺構は一切ありません。が、石垣だけでも十分当時の威容を想像することはできました。
 訪れた日は少し前に東北全域で大きな地震があったあとでしたから石垣の崩れや立ち入り禁止になっていないか心配したのですが、大丈夫みたいでした。ただ、本丸手前のところで石垣の組みなおしをやっていたようで、ひょっとしたら影響があったのかもしれません。
 この日は城跡北方の近所にある当地では有名らしいじゃじゃ麺をいただきました。安くて美味しかったですよ。
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