丸子城跡 登城日:(2003.04.20) 所在地: 川崎市中原区上丸子、日枝神社 |
歴史 |
◆日枝神社の文化財 当社には、川崎市重要歴史記念物に指定された古文書が、三通所蔵されています。 二通は、後北条氏が発給した、いわゆる「虎の印判状」で、うち一通は、北条氏直が丸子郷の住民に年貢の納入を命じた天正十五年(1587)八月十八日付の文書です。もう一通は、多摩川の出水により流路が変ったため、氏直が、隣郷の世田谷領沼部郷との間に生じた境界争いを裁決した天正十八年(1590)三月十六日付けの文書です。(以上、昭和五十年十二月二十六日指定) のこる一通は、徳川氏奉行人連署奉書で、徳川家康の奉行、大久保十兵衛長安ら四人が連署した社領朱印状の下附に関する文禄四年(1595)十二月二十六日付けの文書です。(昭和五十七年九月二十八日指定) 『日枝神社案内板』より
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資料 |
私見 |
文明十年(1478)、太田道灌に攻められた長尾氏の家臣が丸子城に籠ったとされています。日本城郭体系では城というよりも陣場として掲載されていますね。 ちょうど訪問したこの日はやけに境内が慌ただしく何か準備してるなぁと思ってあとで調べてみたら、「やまぶき祭」というイベント直前だったんですね。 遺構なんて一切なく、ただ境内を野放しの鶏が走り回っている神社でした。
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