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長尾氏居館跡 登城日:(2004.09.08) 所在地: 横浜市栄区長尾台町 |
歴史 |
保元・平治の乱後、平清盛政権時代となり伊豆に流されていた頼朝が平家打倒の兵を石橋山で挙げたのは治承四年(1180)八月のことだった。 このとき平家側の総大将は大場景親で、先陣は弟俣野五郎景尚と家臣、当長尾台の長尾兄弟。源氏は岡崎義実の嫡男真田与一、陶山文三主従だったが、与一の討死で敗れた頼朝等は山中を逃げまどい五日後、岩浜から房総へ船で敗走したことは戦記に大書されている。 渡海後の頼朝は房総の豪族を御家人とし反撃に転じた。鎌倉入りには当初、頼朝に敵対した武相の豪族等が御家人として加わり、長尾兄弟も亦同様だったが俣野氏は生涯を平家に尽くした。 頼朝は平家を亡ぼし鎌倉幕府を樹立したが頼朝死後は北条氏の時代となった。しかし元弘三年(1333)北条氏も新田義貞によって滅ぼされ、南北朝時代で勝者となった足利氏は京の室町幕府の出先機関として鎌倉幕府を設けた。 長尾氏は是に仕え次第に強大となり、戦国時代に長尾景虎はついに上杉謙信と称し、関東管領から戦国大名として北は出羽、南は上野、西は加賀に至る広大な領土を有した大大名として知られた。 この長尾台は戦国史を飾る名将上杉謙信の先祖、長尾氏の発祥の地である。 『長尾氏居館跡案内板』より
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資料 |
私見 |
JR東海道本線「大船」駅を降り、柏尾川を渡ると北へ20分ほど歩きます。23号線手前を左折し住宅地の中に入っていくと高台に神社があり、その上が長尾氏居館跡となっていました。神社の裏手にも削平地が広がっているようで、どこまでが居館跡なのかよくわかりません。 ここに来るまで詳しいことは知らなかったのですが、まさか上杉謙信の先祖、長尾氏の発祥の地だったとは・・。それにしては寂しい状態なのが残念です。
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