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長尾氏居館跡 登城日:(2004.09.08) 所在地: 横浜市栄区長尾台町 |
歴史 | ![]() このとき平家側の総大将は大場景親で、先陣は弟俣野五郎景尚と家臣、当長尾台の長尾兄弟。源氏は岡崎義実の嫡男真田与一、陶山文三主従だったが、与一の討死で敗れた頼朝等は山中を逃げまどい五日後、岩浜から房総へ船で敗走したことは戦記に大書されている。 渡海後の頼朝は房総の豪族を御家人とし反撃に転じた。鎌倉入りには当初、頼朝に敵対した武相の豪族等が御家人として加わり、長尾兄弟も亦同様だったが俣野氏は生涯を平家に尽くした。 ![]() 長尾氏は是に仕え次第に強大となり、戦国時代に長尾景虎はついに上杉謙信と称し、関東管領から戦国大名として北は出羽、南は上野、西は加賀に至る広大な領土を有した大大名として知られた。 この長尾台は戦国史を飾る名将上杉謙信の先祖、長尾氏の発祥の地である。 『長尾氏居館跡案内板』より
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資料 |
私見 |
JR東海道本線「大船」駅を降り、柏尾川を渡ると北へ20分ほど歩きます。23号線手前を左折し住宅地の中に入っていくと高台に神社があり、その上が長尾氏居館跡となっていました。神社の裏手にも削平地が広がっているようで、どこまでが居館跡なのかよくわかりません。 ここに来るまで詳しいことは知らなかったのですが、まさか上杉謙信の先祖、長尾氏の発祥の地だったとは・・。それにしては寂しい状態なのが残念です。
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