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大田和城跡
登城日:(2003.03.23)
所在地: 横須賀市大田和字手取
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 大田和城址碑、でも伝。  大田和城は衣笠城の支城として、三浦義明の三男大多和三郎義久が平安末期か鎌倉時代初期に築城したと考えられている。
 廃城の時期も明らかでないが、宝治元年(1247)の合戦により三浦泰村一族が滅亡した時、衣笠城周辺のほとんどの支城は廃城になったが、『太平記』巻き十三三浦大多和合戦意見事の項に三浦大多和平六左衛門義勝の名がある。このことは義勝が大多和城にいたとするならば大田和城は鎌倉時代を通じて存続していたということができる、と考えられている。

『日本城郭体系6』新人物往来社刊参照

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資料  

私見  三浦市から横須賀市へ134号線を北上してきました。「林交差点」の次の信号を右折、小多和川沿いに走る道路をしばらく走っていますと左手に「伝 大田和城址」とかかれた碑がありました。城跡はこの碑があるところの小高い丘の上にあったようですが、今ではマンション(?)が建ってしまっていて遺構は何も残っていないようです。
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