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泉沢寺構堀跡
登城日:(2003.04.20)
所在地: 川崎市中原区上小田中、泉沢寺
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 泉沢寺正面 ◆泉澤寺の文化財
 当寺は、浄土宗に属しています。
 当寺は、延徳三年(1491)、武蔵国多摩郡烏山(現・東京都世田谷区)に、吉良氏の菩提寺として創建されました。その後、天文十八年(1549)、堂宇がことごとく焼失したため、その翌年、世田谷領主吉良頼康が、現在の中原区上小田中に新しく建立しました。当寺には、中・近世からの歴史を物語る数多くの文化財が所蔵されており、次の文化財は、川崎市重要歴史記念物に指定されています。
 古文書では、当寺再興に関する吉良頼康関係の判物、北条氏政の禁制(虎の印判状)、徳川家康の代官神谷重勝の寺領朱印状下附に関する書状、徳川氏奉行人連署奉書があります。
 仏像では、江戸城内にあった五代将軍徳川綱吉の霊廟に祀られていた木造・四天立像(広目天・多聞天梵天・帝釈天)と、南北朝時代(十四世紀)制作の銅像・阿弥陀如来立像が所蔵されています。

『泉沢寺案内板』より

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資料  

私見 泉沢寺脇を流れる二領用水こと、構堀跡  JR南武線「武蔵小杉」駅から歩いて25分くらいでしょうか、中原街道沿いにある泉沢寺に着きました。最寄だと「武蔵中原」駅かもしれません。
 ここを城跡といっていいのか難しいところですが(笑)、吉良頼康が当時の稲毛領への進出を図る拠点としようとしたのだろうといわれているようですね。寺の周囲には「構堀(かまえぼり)」といわれる幅約1,8メートルほどの水堀があったようです。現在は寺の北と東に「二領用水」として、その痕跡が残っています。
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