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篠原城山城跡


登城日:(2007.03.27)
所在地: 横浜市港北区篠原町2丁目
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
正覚院脇にある細い路地。その上が主郭です。  篠原城山城の築城時期、築城者は不明である。15世紀に在地武士団の手によりその基盤が形成され、それがやがて後北条氏小机領に編入された後には小机城守備のために東方を固めるために存在したのではないかと考えられている。
 遺構も概ね良好に残っており、その状態からも十六世紀の改修がみてとれるようだ。また当時の城主として金子出雲の名が浮かび上がってきている。

『中世城郭研究第20号』中世城郭研究会刊参照

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資料
 

私見
菊名駅側から登っていくと左手に郭跡が残ります。 埋もれていますが主郭をまわっている横堀跡  新幹線「新横浜」駅を北側へ降り、人通りの少ない細い路地を線路に沿って東京方面へ歩いていきます。約200メートルほど行ったところで正覚院が見えてきますのでここから城域へと入っていくことになります。同寺の裏山になる篠原城山城は標高35,4メートル(比高29メートル)の小高い独立丘陵一帯に存在しています。新幹線や横浜線に挟まれ、近代化が押し寄せてきているにもかかわらず城跡付近は今だ当時の状況さえ想像できるのではないかと思えるくらいの未開発状態です。(それが素晴らしいのですが)
 正覚院の前を通りすぎ、すぐに細い路地が城山へと続いている歩道が見えてきました。いたるところが藪ですが、そのすぐ上には主郭部があり、縄張り図に見るような良好な遺構が随所に残っているんだと思うと直登したい気持ちが湧き上がってきます。しかし残念ながらスーツなので(^^;、大人しく道なりに登城口を探すことにしました。
 城跡東側がちょうど宅地部分と相まって、うまく山頂へと続く歩道が続いていました。おそらくはこの辺りには虎口があったのではないかと考えられているようですが、すっかり破壊されています。登っていく右手側が宅地、左側がまだ比較的郭跡を感じさせてくれる状態ですね。ちょうど地元の方に遭遇しましたので「ここは城跡だったんですよね?」と聞いてみましたがご存知ないようでした。時折見かける看板には「自然林保護」と書かれていたと記憶していますが、史跡ではなかったのですね。
 さて、頂上部が見えてきました。と同時に左側も開けましたがこの辺りも数十メートルの長さをもつ郭だったようです。右手側に横堀跡が見えます。ようやく山城らしい遺構です。しかし侵入禁止となっています。確かに貴重な山城遺構は保護しないといつのまにか壊れてしまいますので、それについては賛成なのですが、なんとも残念です。
 仕方がないので頂上に出ます。ここが主郭だったようですが背の高さ以上に藪が伸びてしまっていて、まったく足を踏み込むことができません。縄張り図によればこの奥が一番いい状態だと言うのに・・。遺構は残してほしいが、自分はこの目で確認したいというジレンマがつらいです(^^;。うまくやれば主郭の斜面を直登すれば藪と進入禁止のゲートを避けつつ、その奥に見える土橋や虎口、馬出しなどがあるようなんですが・・・・。5分悩みましたが、スーツ&革靴では不可能と判断しました。今回は概ね状況が分かっただけでもよしとします。この状態ではそうそう遺構がなくなってしまうこともないでしょう。しかし、早いうちになんとか史跡指定を受けて、史跡保護として守っていってもらえたらなぁと思います。
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