城めぐドットコム HOMEへ

人吉原城

人吉原城跡


登城日:(2009.03.21)
所在地: 人吉市上原町
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
原城の空堀跡か 一部公園化された原城の郭跡  中世の相良氏の居城は、国の史跡となっている近世人吉城の背後に上原、中原、原城、富ヶ尾一帯の台地上に位置し、さらに近世人吉城の本丸周辺も含む広大な中世城であった。その規模は東西1キロメートル、南北0.5キロメートルに及び、麓集落を含めれば約40万平米の城容であった。これは戦国時代に球磨、八代、芦北の三郡支配をなし、日向、大隅、薩摩の隣国へも領土の拡大を計っていた中世相良氏の威容を充分に裏付けるものである。
 文献によると、中世人吉城は上原城を本城として、中原城、下原城、内の御城、西ノ丸といった複数の郭からなっていた。
 昭和63年に人吉市教育委員会が行った発掘調査の結果、上原城において城主の館の一部とみられる大型の掘立柱建物3棟以上、小型の竪穴式建物1棟、礎石建物1棟が確認されたほか、各郭を形成する空濠、堀切等の存在が明らかになった。

『人吉原城跡案内板』より

【戻る】

資料
【地図を表示する】
 

私見
霧でうまく撮れません  人吉で泊った早朝、朝駆けで人吉原城へと向かうことにしました。しかし辺りは一面真っ白・・・なんとこの日は深い霧が立ち込めていたのです。写真がうまく撮れなさそうなのが一番の悩みでしたが、それでも行ってみることにしました。
 案の定、よくわかりません。しかも誰も歩いてません(^^;。人吉城の脇を通りすぎ、小高い山の中を走っている車道をあがっていきますと左右に深い空堀跡のような地形があることに気付きます。地図で見ていると原城はいくつもの独立した郭に分かれていたようで、南九州によく見るタイプの城だったのでしょうか。右手に案内板が見えてきます。その上は若干公園化されたような郭跡となっていますが、遺構らしきものはよくわかりませんでした。しかしまぁ堀跡を拝めただけでもよしとします。ここは季節と時間(と天候)を間違えなければきっともっと想像で補える城跡だと思います(^^;。
【戻る】