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熊本城跡 登城日:(2005.03.20) 所在地: 熊本市、熊本城公園 |
歴史 | ![]() ![]() 日本三名城の一つに数えられる熊本城は、加藤清正が幾多の実戦の経験を生かし、慶長六年(1601)から七ヵ年の歳月を費やして完成したものと伝えられている。周囲5.3キロに及ぶ豪壮雄大な構えで、百二十余の井戸を掘り、かつては櫓四十九、櫓門十八、城門二十九を数えた。 明治十年(1877)の西南戦争で多くの建物を焼失したが、薩軍の猛攻撃に耐え、名城としての真価を発揮した。熊本城の石垣は、特異な勾配と堅牢さで知られ、「武者返し」の石垣と呼ばれている。なお現在の天守閣は、昭和三十五年(1960)に再建されたものである。 ![]() 熊本城内に残る唯一の多層櫓で、外観は三層、内部は五階に地下を備えている。古くから小西行長の宇土城天守を移築したものと伝えられ、宇土櫓の呼び名の起りとされた。しかし、解体修理の調査などから、熊本城内で創建された櫓であることが明らかとなった。 本材は主にマツを使い、他にツガ・クス・クリ等も使用している。黒光りした手斧痕の残る柱には歴史の重みが実感できる。屋根瓦は全部で四万六千枚にも達し、その中には四百年の歳月に耐えた加藤家の桔梗紋を持つ瓦も残っている。 明治十年(1877)二月十九日の城内火災では、折からの強い西風で風上に位置したことから、幸運にも難を逃れた。昭和六十年から五年がかりで修理を行い、平成元年十月から一般公開している。 『熊本城跡案内板』より
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資料 |
私見 | ![]() ![]() まずは宇土櫓の中に入ります。天守を撮るのならここから撮るのがベストかもしれません。ちょうど午後だと陰にもならないでしょうしね。ただ、この日は曇り空だったのであまり関係なかったのが残念です。 さて、息つく間もなく天守にとりかかります。ここには忍者が立ってましたが、みんな無視してます(笑)。よくここまで復元したものですねぇ。城の造形美と現在に見事蘇らせた多くの関係者の皆さんの熱意に感動です。現在建築中の本丸御殿ができるころにはまたここに立っていたいと強く願いました。 本丸を後にすると南側におりていきます。熊本城は天守や宇土櫓など建造物に目がいってしまいがちですが、石垣も見事ですね。飯田丸五階櫓が建つ高石垣の完成された曲線もそうですが、古城跡に見られる旧世代のそれも又味わい深いものを感じます。 撮影ポイントが無数にある熊本城、写真をいっぱい撮りましたがしっかりと胸のうちにもその姿を焼きつけておきました。
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