
馬場館跡は金屋字宮分に所在し、周辺よりも高位な自然地形を利用して造られています。馬場館跡は主郭と副郭からなり、現況は前者が八幡宮境内、後者が杉林と畑になっています。平成十四・十五年度に実施した確認調査から、十五世紀代(室町時代)の館であることがわかっています。
主郭には土塁と堀がめぐり、その規模は土塁内測で北辺と西辺が各六十メートル、南辺が四十メートル、東辺が七十メートルで、面積は約3500平方メートル、平面形は歪な台形を呈しています。最も残りのより南東隅土塁と主郭内の比高差は1.5メートルです。主郭の出入口である虎口は、東辺と南辺の二箇所に推定されます。調査では井戸・柱穴・溝などのほか、東西十七x南北十三メートル、深さ一.二メートルの池が二箇所の虎口に近い主郭の南東部で確認されました。堀の規模は、確認できたもので南堀が幅十五メートル、深さ二メートル、中堀が幅十五〜二十メートル、深さ一.七メートルです。副郭は一部を調査しましたが、遺構は確認できませんでした。東辺虎口前に位置する馬出し状の区画であったと推定されます。
建物には、土師器小皿、青磁、瀬戸美濃焼、珠洲焼、信楽焼のほか、瓦質風炉、茶臼、鉄瓶、羽口、鉄滓などがあり、主に主郭から出土しました。
馬場館跡や金屋に関する当時の古文書はないために、当館の主は不明です。しかし、奥山荘北条黒川氏の領地や家臣を記した史料に「金屋」の記載が見られることや、奥山荘にある江上館跡や古館館跡も副郭を伴うなど館の構造に類似点が認められることから、馬場館跡は黒川氏の家臣の居館であった可能性があります。