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青佐山台場

青佐山台場跡


登城日:(2007.08.15)
所在地: 浅口市寄島町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
Dの字に造られた青佐山台場 深い藪に隠された青佐山台場  嘉永六年(1853)、攘夷論が盛んになると岡山藩(鴨方藩主池田政詮)でも海防の必要を認め、奉行岡本甚等をして外国軍艦の来襲に備え、沿岸各地に台場を造らせたが、その一つとして本町に造られたのが、青佐山台場である。
 台場で試射の時、砲弾はやく三郎島(寄島)付近に達しただけであったという。
 台場は、藩士渡辺淡水がこれを管理したが廃藩と共に廃棄された。現在砲車は、町総合福祉センターへ保存している。

『青佐山台場跡案内板』より

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資料
 

私見
青佐山台場から見下ろした寄島沿岸  鴨方藩の台場としてはこの青佐山台場、長浜台場、寄島台場の3箇所があるようです。そのうち一番よく残っているのがおそらくここ青佐山台場なんだろうと思います。しかしすごい藪となっていますので土塁はおろか、不等辺多角形な形状を確認することは不可能でした。この様子では夏場だけじゃなく年中こんな感じなのかもしれません。せっかく立派な案内板もあるんですから、なんとか草刈りしていただけませんか。(無責任な城好きの願望)
 案内板にも少し触れられていますが、文久三年十一月に岡山藩、鴨方藩主が立会いのもとこの台場から試射が行われたようです。その時砲弾は1500メートルほど離れた三郎島まで届いたということですが、海まではとても届かなさそうですね。かなり高いところに設置されていますので、ここから遠くから外国船の存在を確認して、麓の長浜台場や寄島台場と連絡がとれるようにという設計なのでしょうか。今も眺望は素晴らしいですので、休憩してしばしもの思いにふけるにはいい所かもしれません。
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