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福城跡登城日:(2009.05.04) 所在地: 美作市土居 |
歴史 |
福城は、江見帯刀左衛門尉の居城であり、尼子に属していた。永禄十一年(1568)毛利氏が尼子攻めのため出雲入りをすると、三星城の後藤勝基に攻められる。 のちに江見帯刀とその嫡子平太夫は、宇喜多氏に従うようになった。 『新版・岡山の山城を歩く』株式会社吉備人出版刊参照
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資料 |
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私見 |
播磨との国境、出雲街道の宿場宿でもある土居の少し高台になる場所に福城はありました。JR姫新線「美作土居」駅を見下ろす場所の福城は、上まで車でいくことができます。グラウンド利用者向けの駐車場に車をとめ、その奥の下り斜面を下りれば神社となった城域となります。 堀切が残る場所には「馬落し」の案内板がありました。そのまま竪堀となっているようで、おそらくこの竪堀にちなんだ逸話が地元に残っているのでしょうか。その先の神社社殿は周囲に土塁跡のようなものもありますが、神社建設の際のものなのでしょう。その後社殿裏手に回ったときでした。灯篭の上でくつろいでいた狐が私に驚いて、あわてて逃げて行きました。たまにありますが、こういう野生動物たちとの出会いは癒されますね。 城は神社のある主郭部を中心に一段下ったところにも郭が残っています。斜面は切岸なのでしょうか。全体としてこじんまりした城跡ですが、意外と雰囲気が色濃く残ったいいお城です。
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