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肩脊城跡
登城日:(2005.01.09)
所在地: 赤磐郡瀬戸町肩脊
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
見事な堀切が通路になっています。 肩脊城址碑です。  肩脊城は、宇喜多氏の家臣である岡利勝が居城していた。慶長二年(1597)の第二回目の朝鮮出兵の際に討死した利勝を継ぎ、子の利秀が城主となった。利秀は関ヶ原の合戦の際には徳川氏の命によって城に籠もり戦に参加することはなかった。後に、備中油野郷の領主となる。

『新版岡山の山城を歩く』吉備人出版社刊参照

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資料
 

私見
広い削平地だけはよく残っていますね  国道2号線の備前大橋を西へ。渡り終えたあと左カーブをすぎるとすぐに右折し、県道221号線をひたすらまっすぐ進みます。新幹線の高架をくぐり、長池を過ぎると肩脊集落内へと右折します。ここに「願興寺」への案内標識があります。その先をすぐに左右に分岐しますので左へ。そしてゆるやかなのぼり道を進んでいくと右手に防火用水と公民館があります。そこが登城口になりますし、そこに駐車スペースがあります。
 以上のように文章で書くと非常にわかりにくそうですがそれほどでもありません。私は地元の人に聞きましたが(笑)。
 さて、登城口から畑を横切るとすぐに大きな堀切を歩くことになります。そこを右側に回りこんで墓地の裏手を西へとまっすぐに登っていきます。低い木々が行方をさえぎります。すぐに削平地がありますがその左手前にも曲輪があります。
 削平地といってもここにも小さな枯れ木が行く手をさえぎります。城址碑もあり、ここが本丸跡かと思ったのですが、さらに奥に足を踏み込むと段差がありもう一段高いところに出ます。今度はさきほどよりも広い削平地です。全体的にあまりいろいろ手がはいってなさそうですが、最初の堀切のインパクトが強すぎてかなり寂しい気がしますね。
 1月でこの状態なら夏場はどんな状態なのだろうと思ったのですが、実は夏場は「マムシが出るからやめとけ」と地元の方に注意されて退散したのでした。正解でした。(汗
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