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北曽根城跡
登城日:(2005.01.09)
所在地: 和気郡和気町曽根
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
ニの曲輪跡です。  この城は、名黒山城とも呼ばれ、戦国末期に備前・美作・西播に権勢を誇った浦上宗景の家臣、明石景行が開いた城である。
 その後、弟宣行が跡を継ぎ、宇喜多氏の反乱に呼応して浦上氏を滅ぼし、四千五百石を与えられたが朝鮮戦役で戦死、遺子久蔵も関ヶ原の戦で宇喜多氏に従って西軍につき敗北、この城は廃城となった。
 現在、この山は通称「和気富士」と呼ばれ、つつじの名所として親しまれている。

『北曽根城跡案内板』より

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資料
 

私見
一の曲輪跡西側にある石垣  JR山陽本線「和気」駅の裏手にあたる標高173メートルの山、通称「和気富士」が北曽根城跡です。南麓の細い路地を通行しながら登城ポイントを探しましたが、目印の最上神社付近に駐車は無理そうです。少し離れたスーパーの駐車場をお借りすることにしました。
 最上富士は秋には松茸山として9〜11月は入山禁止ですのでうっかり忘れていると痛い目にあいそうです。最上神社につくと、ハイキングコースが設定してあるようで、そのルート上にある城跡へは気軽にいけるようになっていました。とはいえ、足が妙に重いのは体が鈍ってるからか・・(^^;。
 城域へは南側から立ち入るのですが、そこが二の曲輪跡であり縄張り図と沿革が書かれています。すぐ北側の一段高いところが一の曲輪跡であり、山頂部にはおおきな岩が露出しているのが特徴的です。「磐座」というのはこういうことなんですね。
 北側には井戸跡がありましたが、すでに旧情を留めておらず、石が散乱しています。石といえば、一の曲輪の西側には石垣がよく残っています。まさに「撮影ポイント」です。また、一の曲輪の廻りは帯曲輪状になっており、小さいながらもなかなかよく作られた城だったんだなぁと感じさせてくれます。
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