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紅岸寺城跡登城日:(2006.07.09) 所在地: 瀬戸内市邑久郷、紅岸寺 |
歴史 |
この丘は、近世の編纂物によれば、宇喜多五郎左衛門を城主とした城跡と伝えられているが、現況地形からすれば防衛拠点としての城郭痕跡は認められず、あるいは宇喜多に拘る寝小屋あるいは館などの日常生活拠点として利用された寺がそのように伝えられた可能性がある。 他方、江戸前期の寛文年間(1661〜73)藩主光政により断行された寺社整理によって、牛窓町千手にある弘法寺の末寺であった紅岸寺も廃寺へと追いやられ、宝永五年(1708)には寺株や寺領も処分され、小堂と墓地が残されるのみとなった。この寺がかつて宇喜多氏縁故の寺院であったことは、宇喜多能家・安心禅師(忠家)両画像がこの地に伝えられたことによって明らかである。 『紅岸寺城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
紅岸寺城跡は、納岡公民館にほど近い県道28号線沿い北側にある小さな独立丘陵地の頂上にありました。たしか邑久郷城となっているんだけどなぁ、と思いながら麓の看板には「紅岸寺城跡」を再確認します。 丘陵地へは南北それぞれ登り道がつくられています。南側からあがったのですが小さなお堂があり、その前に立派な案内板が設置されているのがすぐ目につきました。そこから北へと歩いていくと、一段低くなった平地があり、腰郭のように頂上部を取り巻いているように見えます。ここは寺院としての時代もあったわけですから、城の遺構がどこまで残っているかはまったくわかりません。元々は何もないのは承知の上でしたので、藪なら止めておこうと軽い気持ちでやってきていたので、案内板があっただけで十分です。それに近所の人も城跡であることを認知されていましたので安心しました(^-^)。
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