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長良山城跡
登城日:(2004.03.14)
所在地: 総社市長良
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
八幡宮北側に残る石垣  長良山城は、建武三年(1336)世瀬川祐隣により築城された。やがて世瀬川氏は禰屋氏と改姓し、賀陽郡服部郷一帯を治めるようになっていく。
 永禄七年(1564)には龍の口城を死守し、二度にわたる宇喜多直家軍の猛攻によく耐え戦っている。その後、天正十年(1582)の高松の役の前哨戦となった冠山合戦では、宗家を継いだ禰屋七郎兵衛、孫市郎親子が共に城を守って戦ったようである。

『日本城郭体系13』新人物往来社刊参照

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資料
 

私見
長良山城の北郭跡  国道180号線から岡山県立大学へと車を向け、すぐに右手の神社へと方向を変えます。そこから鳥居をくぐり、山上の神社へと歩を進めますとそこがかつての長良山城跡です。あがったところにある八幡宮が北郭で、少し南へ歩いて石鎚神社があるところが南郭となっています。ここの遺構はと言えば八幡宮の北壁にある石垣に尽きるといっていいほどです。それだけ見事に残っているのですが、上からじゃ分からずとおりすぎてしまうかもしれません。「危険」と書かれてロープが張ってある北側コーナーの下にあるんです。
 その脇から下へ降りることができますが良い子は真似しちゃいけません(笑)。しかし、そこから見上げた石垣は崩れそうで崩れない微妙なバランスを保持しているのが、まるで現代に消滅してしまいそうだが、なんとかぎりぎりのところでかつての歴史を強く主張しているような気がして、一人感じ入ってしまいました。崩れてしまう前に何か手をうっていただきたいものです。
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