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小笹丸城跡登城日:(2006.01.09) 所在地: 井原市美星町黒忠 |
歴史 |
小笹丸城の遺構は、現在ほぼ完全な状態で保存されている。頂上の平坦な部分は主郭(江戸時代の用語で本丸)と呼ばれ、城の中心である。城道がとりつく北と、尾根つづきの東側に土塁を備える。 主郭から一段下の曲輪(江戸時代の用語で二の丸、三の丸など)2〜6は、次第に下がりながら主郭を一巡する帯曲輪である。曲輪6は、尾根つづき側を防衛する重要な曲輪である。東下にさらに2段の曲輪があり、その直下には堀切りを設け尾根筋を完全に遮断する。曲輪6の北側で土塁がカギの手に曲がる所は、虎口(城の防禦された出入口で門がつくられた場所)で、北側の竪堀に開かれている。 竪堀は、北側斜面を区分し横移動を防ぐ。竪堀底は幅が広い上に、武者隠しによって守られる。こうしたことから、この竪堀は当時小笹丸城への大手道を兼ねていたと考えられる。曲輪7は内部に石積み井戸をもつ重要な場所である。このため、両脇に土塁を備える。 小笹丸城は、戦国期の村落領主の詰めの城の典型的な事例といえ、大規模な石垣などはないが、土の造形によってきわめて綿密なプランを創出している。その整った構成から、現在地表面から確認できる遺構が完成したのは、天正期(1573〜91年)に降ると考えられる。 『小笹丸城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
小笹丸城は美星町内西部に位置する小高い山城で、非常に散策しやすい整備されたお城でもあります。築城された時期は不明ですが、竹野井市郎衛門尉が築城し以後竹野井氏が居城し、天正の秀吉による高松城攻めの頃にまで存在していたようですね。城の状態は案内板にある遺構の説明が実に分かりやすいので縄張りをそのまま載せておきます。まるで中世山城の遺構を一気に説明するにはうってこいのお城ですね。
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