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下津井城跡
登城日:(2000.05.03)
所在地: 倉敷市児島下津井
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 二の丸へ。この辺は城跡が良く残っています。 馬場跡にある石垣。やけに丸い石が使われてます。 下津井城は、下津井港背後に横たわる城山の頂上部に所在した連郭式山城で、東西約560mにわたって建てられていました。
城の経歴は、築城時期こそ定かではないが、備前を統一した宇喜多直家の子秀家が瀬戸内海の要衝として既存の小城を大改築したと津耐えられています。宇喜多氏の滅亡後は小早川秀秋が備前国主になると、重臣の平岡重定が居城しました。慶長七年(1602)に秀秋が病死すると小早川家は断絶し、代って池田忠雄が備前国領主になると池田一族で家老職をつとめる池田長政が下津井城の城主となりました。家康の内命により西国大名に備えるために整備されたのです。
後に寛永十六年(1639)に一国一城令で廃城となった。

『下津井城跡案内板』より

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資料  

私見 本丸跡にある石垣。 石垣が有名だと聞いていたので下津井城には期待してました。すっかり整備された公園内の駐車場に車を停めた時点では「またかぁ」とちょっと期待を裏切られたと思ったのですが、案内図に従って本丸跡へと歩いていくほどにしっかり城跡の姿が残されていることがわかってきました。 堀切や石垣、特に石垣が至るところに残っています。圧巻は二の丸跡から見る本丸の石垣ですね。一国一城令で廃城となった割にここの石垣は往時の姿そのままなんではないかと思ってしまうほどです。
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