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鳶尾城跡登城日:(2007.08.15) 所在地: 浅口郡里庄町大字里見 |
歴史 |
虚空蔵山地東南の支脈にある戦国時代の古城址。備中府誌によれば、当城の開基は大内左京大夫義隆、城代として井上伯耆守春忠在城す、と記されている。 城址は北から本丸、二の丸、三の丸としていた。特に南は展望が開け茶臼山、青佐山とともに領国の境の城として絶好の場所であった。 天文年中、大内義隆は毛利元就など安芸、備後の国侍に備後南部への進攻を命じているが、毛利元就は大内氏滅亡後も積極的に備中進出を図り毛利氏は次第に優位を確立した。 その後、毛利氏が備中の地侍を動員して九州に出陣した留守中に宇喜多直家や尼子勝久の軍勢が備中に進入を図ったが、引き返して来た毛利勢に撃退された。なお、井上氏は毛利氏の山陽方面での作戦を主に担当した小早川隆景の有力な武将であり尼子、大友氏との戦いや石山本願寺への兵糧搬入などに功績のあった人物である。また別名「大原竜王」とも言われ、のちに干魃の年には地元の農民たちがこの城址に集まり、連日連夜あかあかと薪を焚きながら雨乞いを行い、農作物の被害を最小限に食い止めたといわれている。 『鳶尾城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
鳶尾城のことは案内板の説明に譲るとして、かなりくねくねと細い道を進み、「ほんとにこんな先に城跡が整備されてるのかな?」と不安になるような場所にありました。(^^;。駐車場まで完備しており(といってもお寺に来る方の為でしょうけど)、櫓台まで作ってあるんですね。よくわからない状態ですが、西側の見晴らしがいい尾根先に段が見えた気がします。城に関係するものでしょうか。ま、それはさておき、ここまでお金かけてるんだったらもう少し麓からこれを目指してこれるように標識があってもいいのになぁとは思いました。
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