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富田松山城跡 登城日:(2004.01.10) 所在地: 備前市東片上 |
歴史 |
富田松山城址は、東片上、南岸、海抜209メートルの頂にあって、残礎等ほぼ旧態を追想するに足る。また眺望よく戦国時代に相応しい山城であった。播州と備前東南部を扼する浦上氏は、本城を三石に置く関係から備中の雄、松田氏に対して西方面を固める城砦として築いたものであろう。 文明、若しくはそれ以前から天正年間に至るまで約百年の間、代々浦上氏の居城であった。 城主の内、浦上近江守国秀から「片上年寄中」宛の書状(享禄未?)二通が現存している。 『富田松山城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
富田松山城は、室山城の浦上政宗と対立しはじめた浦上国秀が居城した山城でした。JR「備前片上」駅から南下したグラウンド脇に駐車スペースがあり、案内板も設置されていました。 その先にある登城口から約40分で本丸跡に到着するのですが、途中何度も本丸へと導く標示がありとてもよく整備されていますので安心して登ることができます。 本丸にいくまでに一度ピークがあり東出丸になっています。ここから片上湾が一望でき、遠く瀬戸内の海が広がっています。この出丸だけでも十分立派な城跡なのですが、そこから一度下がり、そして隣の円錐状の山頂を目指します。 東出丸と同じような状態かと思い、本丸へと歩いていったのですが、予想以上の状態になんども驚きのため息がでていました。 まずは右手に大きく切り込みが残る堀切があり、その先には三の丸から本丸への近道となる搦め手道と大手側への分岐点が現れます。私はそのまままっすぐ大手へと進みます。腰曲輪状の郭が弧を描くようになっており、大手曲輪、そして二の丸、その先が本丸です。次々と目の前にする郭跡にはかなり興奮です。そして極めつけが本丸をぐるりと取り巻く土塁に何度目かのため息でした。 山城はやはり下から見ただけじゃ決して分かるもんじゃないですね。富田松山城は山頂がとんがった円錐状を予想していましたが、本丸部は広い円状で、その周りに幾重にも設置された郭が輪郭を形成していました。 ここは暖かい日にのんびりともう一度来てみたいものだと思える、そんな城跡でした。
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