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名護グスク跡登城日:(2005.07.16) 所在地: 名護市名護 |
歴史 |
桜(ヒカンザクラ)の名所として全国的に有名になった名護グスクは、名護市の歴史のなかえ重要な位置をしめる遺跡のひとつです。 このグスクに、いつの頃から人が住みはじめたのか定かではありませんが、これまでに採集された中国製磁器類・類須恵器・高麗系瓦・土器などのさまざまな遺物からすると、すくなくとも今から約600年前(14世紀)のことだと考えられ、名護按司の居城として伝えられています。その頃は「グスク時代」と呼ばれ、奄美諸島から八重山諸島にいたるまで、人々は「グスク(グシク・スク)」と呼ばれる小高い丘の上に暮らしていたようです。また、それまでの数千年にわたる海や山の自然物の採集・狩猟による生活から、農業を中心にした生活に転換した時代でもあります。 このグシクには、石垣をめぐらした防御の施設はありませんが、丘陵の尾根部を切り取ったみごとな「堀切」が残っています。グシクの頂上部に続く東側の緩やかな尾根を、一つは約3メートル、もう一つは約8メートルの深さに削り取った「二重の堀切」で、敵の侵入を防いでいます。近年、沖縄県の数ヶ所の「グスク」で「堀切」が発見されましたが、特に、この「二重の堀切」は保存がよく注目を集めています。 また、グシク内には、祈女殿内・根神屋・拝神屋・フスミ屋・神アサギなど、城区の拝所があり、大切な信仰の場所となっています。 『名護グスク跡案内板』より
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資料 |
私見 |
名護グスクは名護市街の背後にある丘陵上にありました。車でかなり上までいけるとしったのは後のことでして、私は下からまっすぐに伸びる階段を一気に駆け上がりました。両脇の木にはびっしりとクマゼミが張り付いており、めちゃくちゃ泣き喚いています(笑)。こんなにうるさいセミの騒音は初めてでした。頭がおかしくなりそうな錯覚を覚えながら、車道に出ます。「えっ車で来れるの?!!」 気持ちを切り替えてさらに上ります。そして神社の境内に入ると左右に二つの登り道がありますので私はとりあえず左を行ってみました。朝イチだとはいえこの石段ダッシュですっかり汗だくです。 ようやく頂上部の主郭に到着しました。広いです。主郭の規模を教えてくれているかのようにまわりを木で囲まれています。他のグスクのような石垣遺構は見られないです。そのかわり二重の堀切がここの特徴のようです。斜面を切り込んで郭を作ったり堀切をつくったりして防御としているんですね。 堀切へはもう片方の道を降り、少しそれていけば見ることができます。鬱蒼としげる南国情緒あふれる植物が普段接している山城と明らかに異質ですが、堀切が見れるのはなんだか懐かしくなりました。
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